【ホンダの底力2026】“日本随一のホンダ研究家”中部 博氏に訊く「Hondaの哲学と変わらぬフィロソフィ」

夢

ホンダの原点はどこにあるのか

 まず触れておきたいのは、この企業が生まれた「日本の戦後社会」という時代です。ホンダのものづくりの姿勢は、この時代がもたらした精神と切り離して語ることはできません。1945年の敗戦を機に、国の構造はあまり変わらなかったけれど、個人の自由がほんの少し大きくなり、報道メディアもほんの少し自由になった時代です。

 この時代にホンダ創業者の本田宗一郎氏が生み出したモビリティの根底にあるのは、国家や組織のためではなく、徹底した「個人のための移動手段(パーソナルモビリティ)」でした。個人が自由に移動することで、生活が楽しくなる市民のための、速くてカッコよくて、乗っておもしろい道具を作る。これこそが、ホンダの原点です。

ホンダのお家芸としての「止揚」

 三部敏宏社長が進めてきた「電動化(EV)への資源集中」は、巨大な損失を出したけれど、これこそホンダならではの芸当というものです。歴史を振り返ってみると、ガラリと方針を変えたり、周囲が驚くような目標を掲げたりするのは、ホンダが成長するためにずっと繰り返してきたいつものやり方で、いわば“お家芸”なんです。

社長

 実現不可能と思えるほどのぶっ飛んだ構想をあえて掲げることで、いま目の前にある矛盾をいっぺんに突き破って解決しようとする「止揚(アウフヘーベン)」の論理で、ベンショーホウ哲学ってものです。

 1950年代の創業期、資本金が1500万円になったばかりの時代に、その30倍にあたる4億5000万円もの生産機械の設備投資を断行したのも、「世界一でなければ日本一ではない」という大枠の目標があったから。この無茶を通すために、メインバンクに対して「会社を絶対に同族経営にしない」「すべてのエンジンを4ストロークにする」という約束をして、突っ走っていく。これがホンダの現実的なビジネス感覚なのです。

 1960年代後半に本田宗一郎が執着した「空冷エンジン」の大失敗から、一転して水冷エンジンに舵を切り、世界で初めてマスキー法をクリアしたCVCCエンジンによる逆転劇もまったく同じです。まわりから見れば大きな方針転換に見えますが、トップが掲げた無茶によって組織全体が徹底的に困り果て、そこから現場が死に物狂いで新しい技術を掴み取っていく。これこそが、ホンダという会社のダイナミズムなのです。

本田&藤澤

 ただ、昔と今の事情は大きく異なります。かつては本田宗一郎の“直感”と、藤澤武夫の“実務”という、天才的トップ二人の緊密な阿吽の呼吸で決まっていました。ホンダの会社組織も“人間集団”と呼べるものだった。でも今のホンダは、コンテンポラリーな妙に合理的巨大企業になっています。この今のホンダが、お家芸を演じて花道を突っ走るのか、というところを真のホンダファンは見たいわけです。昔のホンダではなく、今のホンダの変化が見たいのです。

「人間尊重」の本当の意味

 こうしたぶっ飛んだ方針転換や、ダイナミックな経営を支えてきたのが、ホンダ独自の人材論と組織のあり方です。初期のホンダは、本田さんと藤澤さんの下にいちおう会社組織はあったけれど、原理的な構造は、文鎮型のフラットな組織でした。社長から新入社員にいたるまで、みんなが同じ白い作業着を着て、汗と油にまみれ、役職ではなく「さん」付けで呼び合う。そういう対等な関係が基本にありました。

本田さん

 ここでホンダが掲げている「人間尊重」という哲学は、決して綺麗事ではありません。「人間の能力は無限なんだから、本気でやれば大抵のことはできる」という、本田宗一郎の言葉どおりの、まさに人間という生き物を見つめる考え方に基づいているのです。

 ホンダの仕事の流儀のひとつに、「2階に上げて、梯子を外し、下から火をつける」という方法がありました。いまもあるのかどうかわかりませんが、絶体絶命の局面に追い詰められると、初めてその人が持つ無限の能力が出るという本田宗一郎の持論です。かつてこういう仕事は超人的な個人がやることになっていたけれど、それはおもしろい話だっただけで、現代では組織マネジメントでそれができるかにかかっている。今のホンダが、これをどうやってやるのだろうか。とても楽しみです。

ホンダらしさの根底にある考え方

 ホンダを語るときに、「技術のホンダ」というイメージだけで見るのは一面的です。その根底にはまっとうな「商売のリアリズム」があります。本田宗一郎が語った「三つの喜び」(買う喜び、売る喜び、創る喜び)も、誰のために、何のために、ホンダがあるのかを、わかりやすく言っている。

 ホンダの「三現主義」(現場・現物・現実)に忠実で、よく見てよく考えている。「三つの喜び」は19世紀のデザイナーにして社会主義者のウィリアム・モリスが言っていたことと同じで、ホンダがよく考えて、よく学んでいることのあらわれです。

90年代の「TQM」導入からホンダは変化し続けている

オデッセイ

 90年代の前半、ホンダはセダンに固執して深刻な経営危機に陥り、そこから脱するために「TQM(総合的品質管理)」を導入してビジネスモデル方式で危機を突破した。この改革を「牙を抜かれて“普通の会社”になってしまった」とネガティブに語られることがありますが、救命医療みたいなものだったのはたしかです。しかしホンダにジャストフィットするところがあった。そしてこのときからホンダは変わったと思います。それはTQMが当時の合理的なビジネスの考え方だったからではなく、しっかりと見るべきことは“変わった”ということだけです。制度なんてものはネガもポジも両方もってきて、選ぶことなどできません。ホンダにあるのは“変わる力”なのだと思います。だから今もホンダは変わろうとしている。

伝統の「無茶」が人びとを惹きつける

 ホンダの本質は、目の前の一人の人間が自由に移動するための道具を作るという、あの原点の思想にこそあります。いまのEV戦略をめぐる方針転換の凄味のある破茶滅茶も、かつて本田宗一郎が掲げたような全4ストローク化や全空冷化と同じ飛躍のためのダイナマイトみたいなもので、決して不思議なことではありません。トップが突拍子もない方針変更を打ち出し、現場がそれをエネルギーに変えて大問題を突破していく。そういう冒険的かつ挑戦的な生き方をする人たちが、常識や既成概念と対決するからこそ、ホンダという企業は時代が変わっても時代とともに変化し存在感を放ち、人びとを惹きつけ続けるのだと思います。

インサイト

中部さん

なかべひろし/1953年東京生まれ。ノンフィクション作家。日本映画大学「人間総合研究」非常勤講師。代表作に『いのちの遺伝子・北海道大学遺伝子治療2000日』(集英社)。最新作は『プカプカ西岡恭蔵伝』(小学館)。ホンダ関連の著作は『ホンダF1 1000馬力のエクスタシー』(集英社)、『スーパーカブはなぜ売れる』(集英社インターナショナル)、『ホンダ式』(東洋経済新報社)、『定本 本田宗一郎伝』(三樹書房)など多数。10歳で自動車レースマニアになり、60歳までウイークエンド・レーシングドライバーとして走り、F3、F2、Gr.Aなど全日本選手権およびマカオ国際グランプリに出場するレーシングチームの監督をつとめた

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