【ホンダの底力2026】モータージャーナリスト・岡崎宏司氏に訊く「日本車をいち早くワールドワイドな存在にしたホンダの思い出」

岡崎さん01

アメリカで本格的に認められたアコード

 ホンダはS500(1963年デビュー)から親しんでいます。いろいろなホンダ車のステアリングを握ってきましたが、とくに初代アコード(1976年登場)は印象深いですね。このアコードはよかった。初代シビックも担当した木澤博司さんが手がけたクルマで、開発中から木澤さんとやりとりをしていました。キャラクターとしてはシビックの兄貴分。ホンダがアメリカで本格的に認められるきっかけとなったクルマです。シビックも人気が高かったけれど、あのクルマはアメリカ人が乗るには、いささか小さかった。アコードはアメリカ人にとっても十分な居住スペースがあり、スタイリングも知的。もちろんメカニズムは、排出ガスがクリーンなCVCCエンジンなど最先端でした。アコードは、とくにインテリ層から愛されました。

アコード

1976年デビューの初代アコードはホンダがアメリカで本格的に認められるきっかけとなった名車。エンジンはCVCC。岡崎氏は開発者の木澤博史氏と頻繁に連絡を取っていたという

 あの当時のホンダ車には、ある種の幾何学的な美しさ、独特の輝きがあり、それが彼らの心に響いたのだと思います。アメリカでもホンダは“世界一の2輪車メーカー”として知れわたっていました、その信頼がベースとなり、燃費もよかったので瞬く間に支持を広げたのだと思います。

 当時ホンダは、クルマの開発とともに、米国でのディーラー網構築も積極的に行っていました。西海岸のディーラーを回った記憶がありますが、ゼロから作っただけにどの店舗もきれいで素敵でした。ちなみに売れているディーラーとそうでない店舗の見分けかたもこのときに学びました。きちんとお店が整理整頓されているお店ほど販売が好調だったのです。

 実はこの初代アコード、日本での試乗会の日程と、海外出張のスケジュールが重なって出席することができませんでした。後日、ホンダから「試乗車を用意する」と連絡をもらい箱根に向かうと驚きました。指定されたホテルに到着すると、アコードがずらりと並び、開発陣が全員集合していたのです。なんとボクひとりのために、盛大な試乗会を開催してくれた。感激しました。もちろんクルマの出来も素晴らしいものでした。

2代目シビック(1979年登場)では、トライアルバイクを牽引しトップライダーの万澤康夫氏とオーストラリアのシドニーからエアーズロックまでの往復ツーリングにチャレンジ

2代目シビック(1979年登場)では、トライアルバイクを牽引しトップライダーの万澤康夫氏とオーストラリアのシドニーからエアーズロックまでの往復ツーリングにチャレンジ

 楽しい思い出は、2代目のシビック(1979年登場)にもあります。オーストラリアのシドニーから、エアーズロックまで往復、大自然を満喫したのです。XLR200Rというトライアルバイクを2台載せたトレーラーを引いての旅でした。相棒はトップライダーの万澤康夫さん。オンロードはシビックを楽しみ、オフロードではバイクで遊ぶという、2週間ほどの気ままな旅でした。

 ホンダはオーストラリアということで、シビックにカンガルーを描いてくれ、なかなかスタイリッシュだったことを覚えています。ちなみにこのシビック、のちにレース仕様に改造され高橋国光さんがステアリングを握ったこともあったようです。

初代クイントでホンダの成長を実感

 ホンダは1980年、シビック、アコードに続きクイントを登場させます。このクイントも記憶に残っています。クイントは後にインテグラに発展するのですが、初代は実直そのものの5ドアHBでした。ボクは、当時の久米是志社長に、「なんとつまらないクルマ、これはホンダ車じゃない」と思わずいってしまいました。そうすると久米社長は「岡崎さん、ホンダもメーカーとして大きく成長させてもらいました。現在では従業員やディーラーの家族を含め、数万人の生活を守っていかなければならない。数が売れて儲かるクルマを作らせてもらいたい」と答えてくれました。ボクは「ホンダは大人になった」、と素直に感じました。そして「それをやり遂げて、再びホンダらしいクルマを作ってください、期待しています」と久米さんにいいました。

初代クイントはシビック/アコードに続く第3のモデルとして登場。後にインテグラに発展するが当初は実直な5ドアHB。岡崎氏は当時の久米是志社長との会話が印象に残っているという

初代クイントはシビック/アコードに続く第3のモデルとして登場。後にインテグラに発展するが当初は実直な5ドアHB。岡崎氏は当時の久米是志社長との会話が印象に残っているという

 ボクにとってホンダらしいクルマとは、走って楽しいスポーティなクルマです。身近にあったホンダ車、初代のCR-X(1983年)とワンダーシビックのSi(1984年)は、まさにボクの思い描くホンダ車でした。2台とも息子の五朗(現在、モータージャーナリスト)用に購入したもので、懇意のホンダの技術者たちとファインチューンしたこともあり、まさに痛快な走り味でした。ライバルメーカーの実験部の人に乗せても感激するほどの仕上がりで、ボクも大いに楽しみました。

 ちなみにホンダのエンジニアは、クルマ好きで斬新な発想をする人が多かったですね。しかも“技術研究所”という名称にふさわしく研究者というイメージ。正攻法の理論で迫ってくるケースが目立ちました。だから最先端技術を投入したエンジンの出来は素晴らしい。でもいいシャシーは理論だけでは完成しない。理論上は完璧でも実際に走ると、いまひとつというケースは珍しくありません。よくエンジニアと議論になりました。

岡崎氏にとってのホンダらしいクルマは“走って楽しいスポーティモデル”。初代CR-XとワンダーシビックのSiは、まさに理想像。ご子息用に購入したがご自身でも大いに楽しんだ

岡崎氏にとってのホンダらしいクルマは“走って楽しいスポーティモデル”。初代CR-XとワンダーシビックのSiは、まさに理想像。ご子息用に購入したがご自身でも大いに楽しんだ

 ホンダは日本車をいち早くワールドワイドな存在にしたメーカーです。ボクは黎明期からその歩みを見てきました。個性が明確な点に引かれます。ますますの発展を期待しています。

岡崎さん

おかざき こうじ/モータージャーナリスト、1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部在学中から国内ラリーに参戦し、卒業後、雑誌編集者を経てフリーランスに。本誌では創刊時からメインライターとして活躍。その的確な評価とドライビングスキルには定評がある。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)名誉会員

 

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