【CD取材ノート】クラウンは叔父が乗っていた思い出のクルマ、当時、父はちょっと羨ましそうでした! By 岡本幸一郎

現行16代目クラウンは大変身。昭和の終わり頃、叔父がマークIIからクラウン(7代目)に乗り換えた。これがクラウンを身近に感じた最初だった

現行16代目クラウンは大変身。昭和の終わり頃、叔父がマークIIからクラウン(7代目)に乗り換えた。これがクラウンを身近に感じた最初だった

「いつかはクラウン」という思いを叔父は30代で達成した

7代目 昭和の終わりごろ、それまでマークⅡに乗っていた叔父(筆者の父の弟)が、クラウンに乗り替えた。7代目の12系だった。まだ叔父は30代だったのだが、憧れの「いつかはクラウン!」を手に入れ、うれしそうだった。

  「いつかは…」というには早すぎる気もしたものだが、当時スカイラインを乗り継いでいた筆者の父は、ちょっと悔しそうに見えた(笑) 。その叔父のクラウンが、筆者としてもタクシーを除いて初めて実際に乗せてもらったクラウンだ。家のスカイラインとは高級感がぜんぜん違ったことを覚えている。叔父はやがて、8代目の13系に乗り替えた。その頃には、筆者も免許を取得していたので、運転させてもらうこともあった。当時はよくわからず、フレームシャシーで乗り心地がフワフワなのをクラウンらしくてよいことだと思っていた。高速道路でレーンチェンジしようとすると、ステアリングをきってからしばらくしないと曲がってくれないという独特の乗り味だったことを印象深く記憶している。

8代目

10代目

 叔父は9代目の14系はスタイリングが気に入らなかったらしく、10代目の15系が出るまで乗り替えなかった。15系では雪道でスピンした苦い経験から初めて4WDを選んだ。その頃、叔父の長男がホンダのディーラーで働くようになり、親戚のクルマの大半がホンダ車になったのだが、叔父はホンダに好きなクルマがないからとしばらくクラウンに乗り続けた。そんな叔父も昨年、鬼籍に入ってしまった。少し旧いクラウンを見ると叔父の笑顔を思い出す。

クラウン並び

発表会【プロフィール】
岡本幸一郎(おかもとこういちろう)/1968年、富山県生まれ。幼少期にクルマに目覚め、小学校1年生で街を走るクルマの車名すべて言い当てるほどになる。大学卒業後、自動車専門誌の編集などを経てフリーランスへ。AJAJ会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

 

 

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