SUBARU混流生産の歴史――磨き上げた「変種変量短生産」

 SUBARUは群馬県の矢島工場でSUBARUトレイルシーカーとトヨタbZ4X Touringの混流生産を開始。矢島工場の見学会と、生産における柔軟性の追求に関する取り組みの説明会を開催した。

自動車工場の生産ラインと聞けば、同じ車種が次々と流れていく光景を想像する人も多いかもしれない。ところがSUBARUの群馬製作所を語るうえで欠かせないのが、1本のラインで異なる車種を組み立てる「混流生産」だ。現在ではSUBARUのモノづくりを象徴する手法のひとつだが、背景には、メーカーが市場変動を生き抜くために積み重ねてきた生産技術の歴史がある。

SUBARUの国内生産の歴史は、1958年の「スバル360」から始まる。1960年には群馬製作所本工場が開設され、本格的な量産体制へ移行。さらに1969年には矢島工場、1983年にはエンジンやトランスミッションを担う大泉工場が稼働した。こうして群馬県太田市を中心に生産拠点が整備され、軽自動車から「レオーネ」「レガシィ」「インプレッサ」「フォレスター」へと、時代に合わせて生産車種を変化させていった。

ここで重要になるのが、SUBARUが掲げてきた「変種変量短生産」という考え方だ。大量の同一車種を延々と作るのではなく、異なる車種を、需要に応じて、必要な台数だけ短期間で生産する。モデル数が限られるメーカーだからこそ、設備を遊ばせず、1本のラインを最大限に活用する必要があった。

変種変量短生産の思想が鮮明になったのが2010年代だ。2012年には本工場を登録車の生産工場へ改変し、同年8月から本工場と矢島工場をまたぐ「ブリッジ生産」を開始。インプレッサなどを複数の工場で生産できる体制を整え、需要変動に対する柔軟性を高めた。また、2012年にはインプレッサとXVの混流化も実施。ひとつのラインで仕様の異なるモデルを切り替えながら生産する能力を磨いていった。

この柔軟性は、その後のSUBARUにとって大きな武器となる。2010年代以降、本工場と矢島工場では「レヴォーグ」「インプレッサ」「XV」「WRX」「BRZ」「レガシィ」「アウトバック」「フォレスター」など、時期によって異なる車種を生産。市場の要求に合わせてラインの役割を変えながら、限られた設備を高い稼働率で使い切る生産思想が定着していった。

そして現在、混流生産は電動化という新たな局面を迎えている。SUBARUは2026年2月から矢島工場でSUBARUトレイルシーカーとトヨタbZ4X Touringという2種類のバッテリーEVを同じ生産ラインで組み立てる「混流生産」を進めた。さらにSUBARUフォレスターの混流生産も決まっている。つまり、これまで培ってきた「異なるクルマを同じラインで作る」技術を、内燃機関車とBEVというパワートレーンそのものが異なる車両へ拡張しようとしているのだ。

2025年時点でSUBARUは、日米の計5本の車両生産ラインすべてで混流生産を採用した。需要の読みにくい時代に、車種別の生産量を柔軟に変え、設備と人員の稼働率を高め、必要なクルマを必要なタイミングで届けるための経営戦略そのものだ。

SUBARUの混流生産史を振り返ると、それは工夫の積み重ねであり、やがて世界に通用する生産技術へと進化していった物語でもある。スバル360から始まった群馬の工場は、いまやBEVまで同じラインに流す時代へ進化した。水平対向エンジンやシンメトリカルAWDと同じようにSUBARUらしさを支える技術が混流生産といえそうだ。

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