意地と努力で掴んだ4年ぶりの栄冠、新生「TR」が示したトヨタの総合力【ル・マン24時間レース2026】(2026年8月号)

 トヨタは2012年からWEC(世界耐久選手権)に参戦。2018年のル・マン24時間レース初優勝以降、5連覇を重ね絶対王者となった。だが、それ以降は勝ち星に恵まれていない。

 2025年シーズンはライバルの急増と性能調整(BoP)の影響もあり、第7戦まで表彰台を逃すなど大苦戦。マシンの基本性能の劣勢を、ピットワークやレース戦略をはじめとする「総合力」で補ってきたが、それも限界に達していた。ドライバー兼チーム代表の小林可夢偉選手は「BoPがあるから何もできないという固定観念や、過去の勝利に甘んじていた組織の姿勢こそが最大の弱点だった」と分析している。

 これを打破するため、チームは2026年シーズンに向けてマシンの大幅アップデート(エボ・ジョーカー)を決断。さらに組織にもメスを入れた。具体的には個々の能力が高くても組織になると風通しが悪くなる「大企業病」から脱却するために、量産車開発のエース人材を現場へ投入した。まずは綺麗事抜きに「勝ちにこだわる」という不退転の決意のもと、モータースポーツの現場と量産車開発を強力に結びつける新体制が構築された。

 トヨタは世界中でさまざまなモータースポーツ活動を行っている。それぞれのカテゴリーに「役割」があるが、その根底にある共通項は「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」の思想だ。

トヨタの中嶋裕樹副社長

 しかし、最高峰の技術競争が繰り広げられるWECは、その枠組みにどうしても収まりきらない側面があったのも事実である。一般的にはWECは「ハイブリッド技術を鍛える場」として認識されているものの、BoPが存在するためレースで得た知見をそのまま量産車にフィードバックすることは難しく、実際は「間接的」なものに留まっていた。今回、そこに大きくメスが入ったのだ。  この変革に合わせて、チームは名称をTOYOTA GAZOO Racing(GR)を止め、TOYOTA RACING(TR)に変更。そしてマシンの名称を今回のアップデートに合わせてTR010 HYBRIDへと改めた。

嬉し泣きするトヨタ広報部の小金井勝彦氏

 新生TRが掲げるフィロソフィーは、For the Engineering Race(技術のためのレース)である。要するにGRが市販車を見据えた「もっといいクルマづくり」を目指すのに対して、TRは純粋に限界の先にある「もっといい技術・パワートレーン」を追求するという意味合いだ。

 TRのトップ、トヨタの中嶋裕樹副社長は「レースのために技術を磨く、技術のためにレースをする。勝利のためだけでなく、技術者たちが世界一を目指せる部隊としてレースに臨む。それがTRです」と語る。  つまり、モリゾウに頼るのではなく、自分たちのやり方で挑戦したい技術者の舞台と啖呵を切り、エンジニアたちが自らの意地とプライドをかけて戦う再出発となった。チームは量産車開発部隊が長年培ってきた「燃費・ドライバビリティ・排気」の高度な両立技術を投入し、制御ソフトウェアを劇的に改善。加えてBoPが影響しないありとあらゆる領域で、地道な「カイゼン」を徹底的に積み重ねた。

 その一例が「ハブの凸凹形状化(昨年のタイヤ脱落の教訓からピット作業での確実性を高める)」。「空力特性の安定化(路面のゴミ詰まりを防ぐ形状の工夫や、カウルへの虫付着を防ぐ空力開発)」、「駆動力とタイヤ接地の熟成(跳ねた路面でも即座に駆動力を立ち上げるトラクションコントロールの適合と、無理のない空気圧でミシュランタイヤの安定性を最大限に引き出す足回りの熟成)」などが挙げられる。

 思えば、トヨタがル・マン24時間で5連勝を飾った時代は、「実質的な強力なライバルが不在だったから勝てただけでしょ……」という冷ややかな視線があった。その証拠に、フェラーリのような世界的強豪がハイパーカークラスに参戦してくると敗北を味わい、世間には「ほら、やっぱりライバルがいたら勝てない」という苦言を呈する人もいた。

 だからこそ、ハイパーカー全盛期の時代、それもルール上は旧来のLMP1よりLMDh勢などが有利とも囁かれる現行レギュレーションにおいて、トヨタは正面から競い、勝つ必要があった。そこで中嶋副社長は東京オートサロン2026の場で、「今年は絶対にル・マンに勝つ」と公言した。

 そして迎えた2026年のル・マン24時間、予選は14位・15位と沈んだ。7号車はトラックリミット、8号車はアタックしていないクルマに引っかかったのが原因だが、チームは「大事なのは決勝である」と、それほど悲観していなかった。

 可夢偉選手は「走っているのはドライバーですが、裏でエンジニアも24時間戦っています。それを見てもらえるようなことも考えています。とにかく『「強いクルマを作る」とは、どういうプロセスで進めているのか』を見ていただきたい。それが『凄い、凄くない』という話ではなく、このレースを戦うために本当にいろいろな細かいエンジニアのプロセスだったり、メカニックのクルマを組み立てるプロセスがあります。それ以外にオーガナイズも……です。ル・マンの現場には100人以上のメンバーが来ていて、各人のスケジュールが細かく予定されています。まさに「役割分担」ですが、その役割を全員が遂行していくことこそが、長いル・マン24時間における戦い方です」と語った。

 決勝はスタートから順調に走行しているように見えたが、7号車はスローパンクチャーやドライブシャフトのトルクセンサー不良で出力が上がらない問題が発生。一方、8号車はFCY(フルコースイエロー)中の速度超過やブレーキカバー周辺の損傷と、さまざまなトラブルが起きていた。それを新体制が培ってきた「人の力」がカバーしていた。

 ライバルに惑わされない大胆なピット戦略、ドライバー/エンジニア/メカニックが自分にできる最高の仕事を遂行したことで、レース終盤に7号車がトップに浮上。2番手を走っていた8号車のセバスチャン・ブエミ選手がBMWの猛追を完璧なチームプレイで抑え、7号車を先行させた(その後8号車はタイヤ消耗もあり3位に後退)。

 ペース、信頼性、戦略、および運を引き寄せる執念。そのすべてが噛み合った「真の総合力」でライバルを圧倒。トヨタはTRとして参戦1年目にして、4年ぶりとなる6回目のル・マン24時間総合優勝を果たしたのである。  筆者は24時間、サーキットでそのもようを見守ったが、ゴール時は平気だったのに、その後ピットに向かいエンジニアたちの顔を見たら涙が溢れ出てきた。去年の「悔しさ」を間近で見ていたからこそ、いろいろなモノを背負った戦いでの勝利に、メディアながらに感情移入してしまった、反省……。

 レース後、中嶋氏は豊田章男会長(モリゾウ)に向けてこのようなコメントを発信した。 「TRはモリゾウに反旗を翻したという話ではなく、モリゾウがつくった土壌から生まれた「新しい挑戦」なのです。今年のル・マンではあなたが育てた仲間たちが自分たちで考え、挑戦し、勝てるチームになった……ということを示しています」

 それは、モリゾウに頼ることなく、技術者たちが自立して掴み取った勝利でもあった。

 今回のル・マン24時間の総合優勝は、単なるレースの勝利ではない。「機能軸」の縛りに囚われがちだった量産車のエンジニアたちに、「勝つための作戦や、それを実現するための選択肢の奥深さ」という巨大なパラダイムシフトをもたらしたのである。

 この現場での「気づき」と「刺激」は今後のトヨタの量産車開発にこれまで以上に深く力強くフィードバックされることを信じたい。ル・マンでTRの「もっといい技術づくり」から始まる「もうひとつのもっといいクルマづくり」が花開いた。目的は同じだが、手段が異なるGRとTR、今後も筆者はどちらの活動もシッカリと見届けるつもりだ。

SNSでフォローする