新型コロナウイルス対策と国防生産法(DPA)について知っておきたいこと

世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス(COVID-19)対策のために、自動車メーカーが積極的に医療関連製品、医療をサポートする製品の開発を始めた。米国では国防生産法(DPA)に基づいて、GMとフォードが人工呼吸器の生産を開始。フォードは空気清浄機能付き顔面保護マスクなどの生産も行い、医療従事者を支援している。

米国・国防生産法に基づいて自動車メーカーが人工呼吸器を生産

▲GMがヴェンテック・ライフ・システムズと契約を結び人工呼吸器の製造を始めた
▲GMがヴェンテック・ライフ・システムズと契約を結び人工呼吸器の製造を始めた

 新型コロナウイルスによる感染症・COVID―19が全世界で猛威をふるっている。米国の感染者は57万人(4月15日現在)を超えている。欧州ではイタリアとスペインを筆頭にドイツ、イギリス、フランスといった自動車産業を抱える国々で感染者が増えた。外出禁止または自粛のため工業生産はストップしている。
 こうした状況の中、アメリカでは3月20日に国防生産法(ディフェンス・プロダクション・アクト=DPA)が発動された。政府が〝必要な物〟の新規生産や増産を企業に命令する法律である。賃金や物価の統制権も政府が保証する、いわば戦時統制法である。米政府はGM(ゼネラル・モーターズ)に対して、人工呼吸器の生産に向けた準備を早急に開始するよう指示した。とくにGMに対しては、トランプ大統領が記者会見で「GMには義務がある」と語った。
 DPAは1950年の朝鮮戦争当時に制定された法律であり、過去には数次の中東戦争や湾岸戦争、2度の石油危機、ハリケーンや地震がもたらした大規模災害などで50回ほど発動された歴史がある。今般のCOVID-19拡大に当たってトランプ大統領は、人工呼吸器の生産を「大規模な生産設備が常時稼働できる大企業」のGMなどに命じた。
 この発動を受けて米連邦食品医薬品局(FDA)は、2日後に人工呼吸器の製造に関する一部規制を緩和し、性能が維持できる範囲での素材および部品仕様の変更を柔軟に行えるようにした。また、GMは医療機器メーカーのヴェンテック・ライフ・システムズ(VLS)と契約を結び、インディアナ州にあるGMの工場で人工呼吸器の量産に乗り出した。同時にGMはUAW(全米自動車労組)に協力を求め、過去に解雇した約1000人の元従業員を再雇用した。
 人工呼吸器の製造経験のない自動車および自動車部品の工場が、手作業がほとんどの人工呼吸器生産を短期間のうちに量産、それを軌道に乗せることは難しい。当初、GMとVLSは4月末までに4万台を生産する計画だったが、実際には6000〜7000台の生産にとどまる見通し。また、政府への納入価格については「企業が求める値段と政府の予算とが折り合わない」といわれたが、米政府はGMに対し5億㌦程度(約540億円)を前払いしたという現地報道もある。
 ユニークなのは電気自動車専業メーカーのテスラ・モーターズの取り組みだ。同社はDPAの命令を受けていないが、主力商品のモデル3の車両制御コンピュータ用筐体やコクピットに使っている液晶ディスプレイ、空調システム用の配管やセンサー類を使って人工呼吸器を自社開発している。性能が確認されればただちに量産に移行し、ニューヨーク市の病院に寄贈する予定だという。
 これ以外にも、フォードは電気大手の GE(ゼネラル・エレクトリック)と共同で人工呼吸器を生産するほか、トヨタも人工呼吸器生産で米国の医療機器メーカー2社と提携した。フィアット傘下の旧クライスラーも協力する。フィアットはイタリアで人工呼吸器を生産する計画も進めている。COVID-19との戦いは産業界も交えた総力戦になってきた。

▲フォードは3月末「今後100日間で人工呼吸器を5万台生産する」計画を明らかにした
▲フォードは3月末「今後100日間で人工呼吸器を5万台生産する」計画を明らかにした

自動車メーカーは大量生産で政府に貢献した歴史を持つ

▲三菱はウイリス・オーバーランドとジープのライセンス契約を締結(1953年に第1号車完成/写真は98年の最終記念モデル)
▲三菱はウイリス・オーバーランドとジープのライセンス契約を締結(1953年に第1号車完成/写真は98年の最終記念モデル)

 実は、米国の自動車産業界は第2次大戦で兵器の量産に大きく貢献した過去がある。GMはグラマン設計の雷撃機アヴェンジャー、戦闘機F6Fヘルキャットなど小型海軍機、フォードはコンソリデーテッド設計の大型爆撃機B―24など、クライスラーはM4シャーマン戦車などを持ち前の単一商品大量生産システムにより流れ作業で量産した。また、タイヤメーカーのグッドイヤーも海軍機F4Uコルセアの生産を請け負った。
 航空機メーカーよりも規模の大きな流れ作業ラインの工場を持っていた米国の自動車産業は、たとえばフォードはコンドリデーテッド社の15倍というハイペースでB―24爆撃機を量産した。グッドイヤーはタイヤ量産ラインとは別の新工場を短期間で完成させ、開発を担当したチャンスボート社以上のペースでF4Uを量産した。また、イギリスではロールスロイスがイギリス空軍で幅広く使われていたV型12気筒エンジン、マーリンを毎日100基というハイペースで量産した。第2次大戦は工業生産力を総動員した戦争だったが、なかでも工業新興国アメリカの台頭が著しく、イギリスは完全に首位の座を明け渡した。
 こうした産業界の戦争貢献から、有事の際には「アメリカ企業に必要な兵器や物資の生産を命令できる」というDPAが制定された。法成立直後、朝鮮戦争の補給基地としての役割を果たしていた日本でアメリカ陸軍用のジープをライセンス生産する案が持ち上がり、この契約はジープ開発メーカーのウイリス・オーバーランドと新三菱重工業(三菱自動車工業の前身)の間で結ばれた。
 1953年2月に日本国内でジープのKD(ノックダウン)第1号車が完成したが、このきっかけは成立したばかりのDPAだった。また、同様にアメリカの電機メーカー大手、GE(ゼネラル・エレクトリック)は日本の東芝や松下電器に無線機用の真空管などを大量に発注した。これらがいわゆる「朝鮮特需」であり、日本の戦後復興に重要な役割を果たしただけでなく、自動車や家電などの産業基盤が整うきっかけにもなった。
 国防生産法とは物騒な名前だが、生産するのは武器だけではない。新型コロナウイルスの猛威に打ち勝とう!

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