【岡崎宏司のカーズCARS】独自の個性で魅力を主張。日本の自動車シーンを牽引した、ボクの「記憶に残るライバル」たち

カローラ

初代カローラは日本の「モータリーゼーション元年」といわれる1966年に登場。1.1リッター(60ps)のエンジンを搭載し、最大のライバル、サニーに対して「+100ccの余裕」をアピールした。開発主査は初代パブリカも手がけた長谷川龍雄氏

初代カローラとサニーが対決。その出来栄えには驚いた

初代は「ダットサン・サニー」を名乗り、カローラの7カ月前の1966年4月にデビュー。信頼性に優れたメカニズムと車重645kg軽量設計でスポーティな走りを実現した。パワーユニットは1リッター直4(56ps)。1968年にはクーペも登場

初代は「ダットサン・サニー」を名乗り、カローラの7カ月前の1966年4月にデビュー。信頼性に優れたメカニズムと車重645kg軽量設計でスポーティな走りを実現した。パワーユニットは1リッター直4(56ps)。1968年にはクーペも登場

 今回のテーマは「記憶に残るライバル対決」である。対象範囲を絞らないと候補車が多くなってしまうので、「トヨタ対日産」に絞らせていただく。
 ボクは1964年に自動車ジャーナリストとして活動を始めたが、1966年にデビューした、初代のトヨタ・カローラと日産サニーには驚かされた。

 カローラのエレガントなルックスと高い品質、サニーのスポーティなデザインと走りは、いまも強く記憶に残っている。ボク個人としては、とくにサニーの走りが好きで、仲間と共に「日本一周ノンストップ走行」を計画。その結果、まさかの「50km/hを超える平均速度!」で走り切った。最高の思い出のひとつだ。

「トヨタ対日産」のライバル対決は印象に残るものが多い。上記のカローラ対サニーに続いて、コロナ対ブルーバード、クラウン対セドリック、シルビア対セリカ、セルシオ対インフィニティQ45など、次々と候補が浮上してくる。

 コロナ対ブルーバードは共に1960年代半ばに登場した3代目がボクのお気に入りだった。ルックスはコロナの2ドアハードトップ、走りはブルーバードSSSが好きだった。コロナは、いま見ても「カッコいいな!」と思う。

コロナ

ブルーバード

 国産車所有歴が非常に少ないボクだが、クラウンとセドリックは所有した。セドリックは1969年のスペシャル6。ピニンファリーナ改のデザインが気に入り、ピュアホワイトに特別塗装してもらって買った。どこでもかなりの人目を引いたことを覚えている。

 クラウンは、1971年、モスグリーンの2ドアハードトップを購入。理由は「カッコよさ!」だったが、世間の目にはそうは見えなかったようだ。なぜか「クジラ」のニックネームがつき、販売面でもセドリックに敗れた。デザインの市場評価とボクの価値観が、真反対だった数少ない例だ。

 シルビアとセリカもよきライバルだった。1980年代後半、バブルの最中に人気沸騰した「デートカー」だが、とくにグッドデザイン賞を受賞した5代目シルビア(1988年登場)は、女性に人気があった。その一方、ターボエンジンと後輪駆動のコンビネーションは走り屋も魅了した。ライバルのセリカは、4代目のGT-FOUR(1986年登場)がパワフルな走りを披露。加えて、フルタイム4WDは「雪に強い」ことから、スキー好きからも拍手で迎えられた。

 トヨタ車と日産車の頂点に立つセルシオとインフィニティQ45は、バブルが頂点に達した1989年にデビュー。セルシオは、デザインもメカニズムもオーソドックスなアプローチで、精度をとことん追求した。静粛性は世界を驚嘆させるレベルで、北米市場で立ち上げたレクサスのフラッグシップとして大きな役割を果たした。インフィニティQ45は、「ジャパン オリジナル」のキャチコピーにも示されるとおり「個性」を追った。販売面ではセルシオの圧勝だった。ライバル対決、懐かしい思い出が次々浮かび上がってくる。

シルビア

セリカ

【プロフィール】おかざき こうじ/モータージャーナリスト、1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部在学中から国内ラリーに参戦し、卒業後、雑誌編集者を経てフリーランスに。本誌では創刊時からメインライターとして活躍。その的確な評価とドライビングスキルには定評がある。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員

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