【感動エンジン】レースのために設立されたフェラーリ。プランシングホースのたぎる情熱!

エンジン車よ永遠なれ/輸入車編 Ferrari

フェラーリは生粋のエンジンメーカー。その高性能を保証するため写真のSF90を含めロードカー用エンジンはすべてマラネロで生まれる。細かなパーツまで自社で生産。エンジンはフェラーリの根幹だ

フェラーリは生粋のエンジンメーカー。その高性能を保証するため写真のSF90を含めロードカー用エンジンはすべてマラネロで生まれる。細かなパーツまで自社で生産。エンジンはフェラーリの根幹だ

フェラーリを訪れると、まずエンジン工場に案内される

エンブレム

 フェラーリは生粋のエンジンメーカーである。この事実が「フェラーリのエンジンとはいかなるものか」という質問への答えになっていると思う。

 フェラーリの本社工場を取材で訪れると、まずはエンジン工場へとは案内されるのがつねだ。そこでは最新のマラネロ製ロードカーに搭載されるすべてのエンジン(現在ならV6/V8/V12の3種類)をイチから、つまりアルミニウム鋳造から製造・組み立てを行っている。さらに、もうすぐ契約が終了するマセラティ用ガソリンエンジンも20年以上にわたって生産・供給してきた。

 理由はシンプルだ。エンジンこそが伝統的に「跳ね馬」の命だからだ。だからこそ、その設計から製造に至るまで極めて厳密にクオリティコントロールしている。いや、コントロールしたいのである。フェラーリに搭載されるエンジンは高性能を担保するため、すべてが自社製作。わずかな外部から供給される鍛造パーツの粗成形品を除いて、すべてがマラネロで生まれている。

エンツォ

812

 歴史的に見ても、エンジンはつねにフェラーリの要であった。創始者エンツォは「V12こそ自身のファミリーネームを冠したクルマに適したエンジンだ」と公言してはばらず、実際、1947年の創業から1970年代前半まで純粋なロードカーの跳ね馬エンブレムの下に鎮座していたのは、12個のシリンダーを持つエンジンのみだった。

 エンツォが12気筒エンジンにこだわっていた有名な逸話がある。それは1960年代に6気筒エンジンを積む廉価な入門用モデルを開発した際、プランシングホースのエンブレムはもちろんフェラーリの名も冠することなく、若くして亡くなった愛息のニックネーム「ディーノ」と名付けたことだ。息子アルフレッドは生前エンジニアとしてフェラーリで働き、レーシングカー用V6ユニットの開発に携わっていた。彼の死後に完成したエンジンはディーノ・ユニットと呼ばれ、それゆえ後に登場したV6搭載の市販ミッドシップカーをディーノと呼んだのだ。もっとも12気筒エンジンを積んでいないからフェラーリの名にふさわしくないと判断した、というよりも、前途有望なエンジニアだった愛息の名を未来へと残すための配慮という側面もあった。父親としてのエンツォが選んだ子供を思う親の心を込めた弔いだったと思いたい。

296

296エンジン

 フェラーリ製ロードカーの主力ユニットとしてV8が登場した最初は1973年デビューのディーノだった(308GT4)。1975年には同じV8エンジンを積んだ308GTBがフェラーリのブランド名で登場し、たちまち人気モデルとなる。その後およそ半世紀にわたってV8搭載モデルがマラネロの収益源となった。現在ではその役目をV6エンジン搭載のPHEV、296GTシリーズが担っている。

高性能エンジンこそ勝利の源泉。フェラーリの高度な技術はモータースポーツから生まれた

 フェラーリはなぜエンジンにそれほどこだわってきたのか。その理由もまたシンプルだ。黎明期においてレースで勝つには1にも2にも高性能なエンジンが必要であったからである。

166

レースimage

 フェラーリは最初のF1GPで勝つなど、つねにレーシングチームとしてその名を世界に轟かせてきた。レース、とくにF1で勝つことがレゾンデートル(存在証明)であった。レースで勝つために市販車を売ってきた、とさえいわれるゆえんだ。黎明期においては市販モデルがそのままレーシングカーであり、「週末のレースに勝って、そのまま走って家に帰る」という裕福なサンデーレーサーにも愛された。

 1950年代といえば空力もシャシー技術もまだまだプリミティブな時代であり、速さはエンジンの性能で決まっていた。それゆえ初期のフェラーリは「優秀な12気筒エンジンにタイヤとシートとハンドルを付けたクルマ」とさえいわれていた。エンツォ自身もそれでいいと考えていたという。

 だからマラネロは12気筒エンジンにこだわり続けた。少なくとも市販車ではその高性能イメージもまた重要だったため、1960年代に入って「本格的なロードカー」(GT)を企画し始めてもなお、12気筒モデルしか存在しなかった。

 ところがレースの世界に目を向けると、マラネロは勝つためにありとあらゆる手段を講じている。マラネロほど必勝至上主義を貫いてエンジンを開発したブランドは他にない。

 それが証拠にフェラーリ製レースエンジンの歴史を紐解けば、V12やV6のみならず、直4や直6、V8、V10、さらにはフラット12まで存在したのだ。プロトタイプとしては2気筒や3気筒も開発したし、1気筒エンジンも製作し実際に回してもいる。

 つまり、そうしたレース部門におけるエンジン開発の伝統と歴史、知見がいまなお引き継がれ、マラネロは「エンジンメーカー」として超一流のポジションを勝ち得たといっていい。

F8

296走り

 ホームストレッチを全開で駆けていくフェラーリF1の甲高いサウンドこそ、クルマ好きすべての憧れだろう。もっともフェラーリのロードカーでそんなサウンドを楽しめるようになったのは1990年代のV8モデル、348シリーズから。12気筒モデルでは575Mマラネロあたりからだったと記憶する。残念ながら8気筒モデルでは458を最後に過給機付きとなり、以前のようにラウドなNAサウンドを聴くことはできなくなった。最新モデルでは812シリーズやプロサングエにV12自然吸気エンジンが積まれており、高回転域においては素晴らしいサウンドを奏でる。

 サウンドと共に運転好きを虜にするのは、その回転フィールだ。高回転域まで力強く回り、右足がペダルに吸い付くようなフィールは何ものにも変え難い。一生に一度でもいい、マラネロ製エンジンを思い切り踏み込んでみてほしい。エンジンの魅力のすべてが詰まっている。

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