90年代、日本語ラップが徐々にメジャーな音楽シーンへと進出した

2026年ORANGE RANGEアーティスト写真

 1990年代後半、日本のラップシーンに大きな変化が起こった。それまでクラブやレコードショップ、ライブハウスなどを中心に支持されていた日本語ラップが、徐々にメジャーな音楽シーンへと進出し始めたのだ。

 その先頭に立っていたのが、ZEEBRAやK DUB SHINE、DJ OASISによるキングギドラ、ラッパ我リヤ、RHYMESTER、SHAKKAZOMBIEなどのアーティストたちだった。彼らは、日本語でいかにラップするかを追求し、韻を踏み、社会や日常を言葉にすることで、日本独自のラップ表現を築いていった。一方で、Dragon Ashやm-floのように、ロックやR&B、クラブミュージックとラップを融合させるアーティストも登場。ラップは徐々に、限られた音楽ファンだけのものではなくなっていった。

 その流れを決定的にしたのが、1999年に発売されたDragon Ashの「Grateful Days」だ。ZEEBRAとACOをフィーチャリングしたこの曲はオリコン週間シングルランキングで1位を獲得。「俺は東京生まれ HIP HOP育ち悪そうな奴は大体友達」というZEEBRAのフレーズは、普段ラップを聴かない人にも知られるほどの大ヒットとなった。ラップがテレビやラジオから当たり前のように流れるようになったことは、日本の音楽史において大きな出来事だった。

 さらに2000年代に入ると、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEが登場する。彼らはラップの技術を追求するだけでなく、キャッチーなメロディーや親しみやすい言葉、ポップなサウンドを積極的に取り入れた。KICK THE CAN CREWの「マルシェ」やRIP SLYMEの「楽園ベイベー」などは、ラップファンだけでなく、J-POPを聴いていた幅広い層にも受け入れられた。

 そして、この流れはさらにJ-POP全体へと広がっていく。その象徴的な存在の一つが、2000年代前半にブレイクしたORANGE RANGEだ。ラップを専門とするグループではなかったが、ラップと歌を自由に行き来しながら、ロック、ポップス、沖縄音楽などをミックスした楽曲を次々とヒットさせた。2003年の「上海ハニー」、2004年の「ロコローション」や「花」などのヒットによって、ラップ的な歌唱やリズム感は、より幅広いJ-POPリスナーにとって身近なものになっていった。

 ここで重要なのは、日本のラップが海外のスタイルをそのままコピーしてメジャーになったわけではないことだ。日本語の響きや韻、メロディーとの組み合わせを工夫しながら、ロックやポップスなどとも融合し、日本のポップスとして成立する形へと変化していったのである。

 つまり1990年代後半から2000年代初頭は、日本のラップにとって「ストリートの音楽」から「J-POPの一部」へと進化する転換期だった。この時代に生まれたラップとポップスの融合が、ORANGE RANGEのような存在を経て、現在のCreepy NutsやVaundy、藤井風らにもつながる、日本独自の音楽文化の土台を作ったのである。

ORANGE RANGE最新曲

タイトル:CURRY食べたいfeat.ソイソース
配信リリース中
配信サイト:https://ORANGERANGE.lnk.to/CURRYTabetai

 

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