【スーパースポーツ特集】ランボルギーニは創業者の強烈な個性の結晶。クンタッチでスーパースポーツを定義した!

ランボルギーニ・ブランドストーリー Since:1963

常識にとらわれない自由な発想が理想のスーパースポーツ「クンタッチ」を生む クンタッチはV12ユニットを縦置きした理想のパッケージングと衝撃的なルックスで世界に衝撃を与えた

常識にとらわれない自由な発想が理想のスーパースポーツ「クンタッチ」を生む クンタッチはV12ユニットを縦置きした理想のパッケージングと衝撃的なルックスで世界に衝撃を与えた

手に入らないのであれば「自分で作る」という発想が原点

創業者のフェルッチオ・ランボルギーニはトラクター製造業で巨万の富を築きスーパースポーツ界に挑戦 きっかけは自分の理想とするスポーツカーがなかったからだといわれている 写真はトラクターとハラマ(1970年登場)の前でポーズと取るフェルッチオ

創業者のフェルッチオ・ランボルギーニはトラクター製造業で巨万の富を築きスーパースポーツ界に挑戦 きっかけは自分の理想とするスポーツカーがなかったからだといわれている 写真はトラクターとハラマ(1970年登場)の前でポーズと取るフェルッチオ

 ブランドのヒストリーを語る際、創設者の半生に触れないわけにはいかない。ランボルギーニほど、現在に至るまで創設者の個性が色濃く反映されているブランドはほかにないだろう。
 1916年生まれのフェルッチオ・ランボルギーニは、第二次世界大戦後に立ち上げたトラクター製造業で巨万の富を築く。

 パワフルで常識にとらわれない発想の持ち主だったフェルッチオは無類のスポーツカー好きでもあった。さまざまなモデルを所有していたが、彼を完璧に満足させるスポーツカーはひとつとしてなかった。彼は「理想のスポーツカーが手に入らないのであれば、自分で作ればいい」と思いつき、すぐに行動に移す。

 当時、フェルッチオの周囲にいた人々は、これを知って、大いに心配したようだ。だが、1963年のトリノ自動車ショーで350GTが発表されると、見方は180度変わる。端正なクーペボディのフロントに搭載されていたのは、精緻の極みともいうべきV12エンジン。これこそ、フェルッチオが本気で「理想のスポーツカー」と作ろうとしている何よりの証拠だった。
 その2年後にはミウラを発表。これもV12エンジンを用いていたが、驚くべきことにエンジンは横向きにしてキャビン後方に搭載された。当時、V12をミッドシップした量産車は極めて稀だったから、この時点でランボルギーニはスポーツカー界の最前線に躍り出たといっていいだろう。

1963年に発表した350GTはランボルギーニの処女作 珠玉の3.5リッター・V12ユニット搭載 写真は後期型

1963年に発表した350GTはランボルギーニの処女作 珠玉の3.5リッター・V12ユニット搭載 写真は後期型

ミウラは4リッター・V12をミッドに横置き配置 1966年に発表され1972年まで生産 ランボルギーニの名声を確立した名車

ミウラは4リッター・V12をミッドに横置き配置 1966年に発表され1972年まで生産 ランボルギーニの名声を確立した名車

1960年代後半のサンタアガータ工場風景 V12エンジンがズラリと並びミウラを生産している

1960年代後半のサンタアガータ工場風景 V12エンジンがズラリと並びミウラを生産している

ブランドイメージを確立した名作、クンタッチ!

 本当の意味でランボルギーニのブランドイメージを確立したのは、1971年に発表されたクンタッチ(カウンタック)だった。ここでランボルギーニはエンジンを縦置きとして重量バランスを改善。スポーツカーとしてより本格的なハンドリングを実現したのである。

 しかし、それ以上にクンタッチが衝撃的だったのは、自動車デザインの常識を覆す強烈なウェッジシェイプにあった。結果的にクンタッチは17年間にわたって生産されただけでなく、その後のランボルギーニ・デザインを決定づけるモデルとなる。この事実は、現行モデルのアヴェンタドールやウラカンを見れば一目瞭然だろう。

 歴史をたどる中で次第に洗練されていったとはいえ、ランボルギーニは、ライバルのフェラーリに比べると獰猛で荒々しいイメージが強い。彼らのそんなキャラクターは、フェルッチオ自身の性格をよく反映したものといえる。
 ランボルギーニのトレードマーク、「ファイティングブル」は、フェルッチオが牡牛座生まれだったことにちなんでいる。

クンタッチはメカニズムをパオロ・スタンツァーニ/デザインはマルチェロガンニーニが担当 1971年に発表され1974年から生産スタート 1990年代まで生産が継続された傑作中の傑作

クンタッチはメカニズムをパオロ・スタンツァーニ/デザインはマルチェロガンニーニが担当 1971年に発表され1974年から生産スタート 1990年代まで生産が継続された傑作中の傑作

エンブレム

SNSでフォローする