ランボルギーニ60周年を祝う祭典、「GIRO POLO STORICO」でミウラとカウンタックを全開にした!

GIRO POLO STORICOはランボルギーニ本社のクラシック部門が企画。オーナー所有モデルを中心に約30台が参加。3日間のイベント中、参加車はつねに圧倒的な存在感を放った。歴史を築いた珠玉の名車は美しく、そして逞しい。GIROとはイタリア語で旅の意味

GIRO POLO STORICOはランボルギーニ本社のクラシック部門が企画。オーナー所有モデルを中心に約30台が参加。3日間のイベント中、参加車はつねに圧倒的な存在感を放った。歴史を築いた珠玉の名車は美しく、そして逞しい。GIROとはイタリア語で旅の意味

名車が集い、素晴らしい走りで歴史とスピリットを体感

 1963年、スーパーカーブランドの雄、ランボルギーニが誕生した。つまり、今年でちょうど60周年。日本でのイベントを皮切りに2023年はランボルギーニの話題が尽きなったのはそのためだ。

 中でも熱心なカスタマーが愛車でイタリアをドライブする「GIRO ITALIA=ジロ・イタリア」は60周年イベントのハイライトだった。ところが最も大事な創立月、牡牛座の5月に予定されていたツアーは直前でキャンセルされた。ルートとなったエミリア・ロマーニャ州の洪水被害があまりにひどく、州都(ボローニャ)を本拠とするブランドとして開催を見送ったのである。

 ジロ・イタリアは最新モデル、それもアヴェンタドールSVJ以上のスペシャルモデルが主というツアーだった。すでに愛車をイタリアまに搬送していたカスタマー(日本からも数台)はもちろんのこと、その光景が見られなかった猛牛ファンは忸怩たる思いだった。

並び

 実はもうひとつのジロがあった。それは本社クラシック部門のポロストリコが企画した「GIRO POLO STORICO=ジロ・ポロ・ストリコ)で、そちらは2023年9月に無事、開催された。筆者は幸運にも日本から参加のオーナー(愛牛はグリーンのミウラP400SV)と共に参加することになった。

 スタート地点となったのはスパークリングワインで有名なフランチャコルタの瀟洒なホテル。市販モデルでは現存する最古の個体というシャシー番号2番の350GTから、ランボルギーニ所有でシリーズ最後にラインオフしたゴールドのディアブロ6.0SEまで、地下のガレージには30台近くのクラシック・ランボが集まっていた。カウンタックのモナコGPペースカーや元ヴァン・ヘイレンのギタリストが愛したモディファイド・ミウラ、ファクトリー製作のミウラSVJロードスター、有名なクローン・イオタなど、「解説しがいのある個体」ばかりが並んでいる。

並び02

歴史を作った名車の祭典。クラシックモデルがイタリアを激走

 日本からの参加は4台。ミウラSVの他にカウンタックLP400、そして2台のディアブロである。鮮やかなブルーをまとったカウンタックはポロストリコでフルレストレーションを受けたばかり。しかもペリスコープなし、スティールボディパネルというレア中のレア個体だ。筆者が同乗することになったミウラもSVとして2台目に生産された個体で、本社主催のコンクールデレガンスで優勝経験がある。

 初日。ゼッケン順にホテルを出発した。この日は北イタリアの湖水地方を周遊しヴェローナの有名なアートホテルを目指す。ランチはガルダ湖畔のリーバにて。オープンスペースに止められた色とりどりの猛牛たちに観光客が群がっている。

ミウラ

 午後のセッションで筆者は幸運にも、スーパーカーブランドとしてランボルギーニの名声を決定づけた歴史的な2台を続けてドライブする機会に恵まれた。まずはブルーのカウンタックだ。

 新車のような個体は走りも新車のようだった。なぜわかるのかというと、筆者も以前LP400を所有していたから。骨格のよさはカウンタックの美点だけれど、さらにしっかりとしている。エンジンのスムーズな吹き上がりにも驚いた。いまとなっては速いとは言い難いけれど、自分がパイプフレーム構造の一部となって動くようなドライブフィールはLP400最大の魅力である。400S以降の超偏平タイヤモデルでは味わえない(LP400は70タイヤ)。

 続いてグリーンのミウラP400SVだ。歴史的に見るとP400SVの後継フラッグシップがLP400だったから、世代的には新旧モデルということになる。けれどもこの2台の間にはフルモデルチェンジという言葉では埋めることができない大きな隔たりがあった。

 ミウラの4リッター・V12は、カウンタックと基本的に同じ心臓とは思えないほどシャープな回転落ちをみせる。フライホイールが軽い。ドライバーの背後すぐにエンジンが横置きされているため、コクピットを盛大に満たすのはエグゾーストノートではなくメカニカル音だ。ドライバーがマシンにのめり込ばのめり込むむほどに、機械的なノイズはノートとなり、排気サウンドとともに心躍らせる音楽に昇華する。

 ドライブフィールもミウラのほうが圧倒的にスリリング。冷静にドライブできるカウンタックに対して、つねに緊張を強いられた。おそらくそれが進化の命題だったのだろう。

 現代のスーパーカーの元祖は、V12をミッド配置した初のシリーズモデル、ミウラだ。だが、ブランドイメージを作ったモデルは紛れもなくカウンタックである。創立60年という節目の年にイタリアでその歴史を担った2台を存分に味わった。これに勝る幸せはない。

エンジンチェック

室内

 2日目。ミウラにトラブルが起きた。スタートして早々に電気が止まったのだ。オフィシャルの救援チームがやってきて応急処置を施してくれた。30分ほどの遅れを取り戻すべく、先導のウラカン・テクニカを追って激走する。空いたワインディングロードに入った。がぜんペースが上がる。いや、実際にはミウラのオーナーがウラカンを追い上げるからペースが上昇するのだ。とんでもない速さで峠道を駆けていく。ミウラで最新のウラカンを追い回す。夢のようだ。

 2日目のゴールはモデナ。ディナーもまたイベントの楽しみのひとつである。というのもの夜は、世界一との呼び声も高いレストランのオーナーシェフが自身のガレージハウスを開放し、特別な料理を振る舞ってくれたのだ。
 3日目。猛牛の還暦記念ツアーはサンタアガータの本社工場で盛大な出迎えを受け、そのスケジュールを無事に終えたのだった。

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