ホンダ・ビート。1991年5月に登場したビートは、スーパースポーツのNSXに続くMRレイアウト第2弾で、カタログでは「走る面白さを最優先させたクルマ」と表現。パワーユニットは自然吸気ながら「MTREC」と呼ぶ3連スロットルと10.0の高圧縮比で、64ps/8000rpmの高回転/高出力を実現。切れ味鋭い走りを披露した
ミッドシップのKマイクロスポーツ、ビートは本当に楽しいクルマだ。見ても楽しいし、乗っても楽しい。ビートの魅力を語るのに、性能にしてもルックスにしても理屈をこね回す必要はない。とにかく、直感を信じればいい。
ミニサイズのクルマには、可愛らしさがなくてはいけない。ボクの持論だ。いくら優れたスタイルでもどこかに愛らしさというかファニーなところがないと、ボクはなじめないしし、好きになれない。
このサイズのクルマで、真正面からカッコよさを追いかけると、どうしてもムリが出る。カッコいいけど小憎らしい……可愛げのない子供のようなクルマになってしまう。現在のKカーのスポーツモデルがそうだ。少なくとも、ボクの目にはそう映る。エアロパーツを仰々しく付けて、派手なホイールを履いて、精一杯背伸びをして自分をアピールしようとしている。そうするほどみじめなクルマに見えてしまう。
小さなクルマは、小さいことを最大限アピールポイントにし、周囲から優しい目で見られるクルマにすればいい。過去を振り返っても、クラシック・ミニ、フィアット500、ルノー5、シトロエン2CV、初代スバル360など、多くの人たちから愛され続けているミニカーは、ミニサイズならではの愛らしさ、ファニーな表情を持っている。見た人が思わず微笑んでしまうような、そんな姿や表情を持っている。
初めてビートを見たとき、まず気に入ったのは姿と表情だった。期待したとおり、ミニスポーツならではのカッコをしていたからだ。そのうえで、全体にとてもいいバランスを持っている。
ビートは幌を上げても下げてもサマになる。カッコいい。オープンカーは、もちろん幌を下げたときに最高にカッコよくなくてはいけないが、同時に幌を上げたときのスタイルも重要である。オープンカーだって、ほとんどの場合は幌を上げた状態で使うのだ。駐車するときにも、たいていは幌を上げている。
駐車した自分のクルマに遠くから近づいていくとき「ああ、カッコいいな」と思えるのは、実にうれしい。大きな満足感が味わえる瞬間である。幌を上げた状態がカッコ悪かったら……心のダメージは、そうとうに大きくなる。そんな意味からも、ビートのスタイルはとてもよくできている。ユーザーを大いに満足させてくれると思う。
コクピットのデザインが、また素敵だ。見方によっては、オモチャ的といえなくもない。しかし、エクステリアと同様に、下手に気張って大人ぶって……そう、たとえばNSXの縮小版みたいになっていないのがうれしい。ビートのコクピットはカラフルで、楽しげだ。しかもデザインと色使いが巧みで、仕上げがいいから、決して安っぽくは見えない。これはクルマを作るときの大切なポイントのひとつである。
ビートのコクピットは座っただけで楽しくなる。ただし、ゼブラ模様のシートだけは好きになれない。このシート柄だと、ウエアのコーディネーションが難しくてかなわない、オープンカーは、いつも全身を人目にさらしている。だから、おしゃれに気を配って乗り回したい。
風に巻かれて走る楽しさ、心地よさはもちろん素晴らしい。それと同じくらい「人目を集めて走る楽しさ」が、ボクはオープンカーの魅力だと思っている。クルマだけカッコよくてもボクは満足できない。乗ったときに周囲から「カッコいい」と思ってもらえる、つまり、自分とクルマのコーディネーションがどれくらいうまくいくか、というポイントが、ボクにとっては大切なのだ。だから服装とのコーディネーションの難しいクルマは、好きではない。自分のクルマがいいなと思ってもらえるうれしさと同時に、自分自身がカッコいいヤツだなと思ってもらえることも、ボクは大切なポイントだと思っている。
ビートの一番の弱点を指摘しろ、といわれたら、ボクはラゲッジスペースがない点を指摘する。リアにはテニスラケットがどうにか1本入るスペースはある。だが、これはトランクスペースと呼べるシロモノではない。それにコクピットにも荷物のためのスペースは、まったくない。もしガールフレンドとテニスをしに行くとしても、彼女のラケットその他のもろもろの荷物は、全部彼女の足元に無理やり押し込むか、ひざの上に抱えてもらうしか方法はない。
いくらお洒落なミニ・シティランアバウトとはいえ、これではあまりに実用性がなさすぎる。ガールフレンドと箱根にドライブに行くにしても、オープンでの走りをたっぷりと堪能したあとには汗と埃で汚れたシャツを着替えてから、予約したレストランのディナーに向かいたいだろう。でも、そうするには彼女にバッグを持ってもらうしかない。
ラゲッジスペースをスッパリと切り捨てた割り切りのよさが、魅力的なプロポーションを生み出せた大きな理由のひとつなっている。だが、ビートの人気が火花のように終わらず永続性を持つためには、このラゲッジスペースの問題を解決する必要がある。
確かにミッドシップというレイアウトは刺激性があるし、強い魅力を感じる人もいるだろう。だが、毎日の足としての使い勝手を考え、Kカーというクルマの性格的なポジションを思うと、どうしても最低限の実用性は、選択のための大切な条件になると考えざるを得ない。
エンジンは素晴らしい。660㏄だから、当然それなりの限界はある。NAでここまでの性能を引き出せるのは、「さすがホンダ」である。
エンジンはまるで高性能モーターサイクルのように回り、64ps/8100rpm、6.1kgm/7000rpmを発揮する。ひたすら気持ちがよく、最高の洗練を味わわせてくれる。
山岳のワインディングロードのスポーツライクな走りでも、素晴らしいアベレージスピードを叩き出す。素晴らしく心地のいいフィールを楽しませてくれる。
そして街でも、さすがに大排気量車のようにはいかないが、その超一級のスムーズさと、十分に優れた低速トルクにより、ほとんど気を使うことなく走れる。
エンジンとともに素晴らしいのがギアボックスだ。これはもう、文句なしに素晴らしい! 滑らかで、しっかりした手応えがあって、どんなに速いシフトワークにもすんなりとついてきてくれる。シフトすることが楽しくて、気持ちよくて仕方がない……そんなギアボックスである。もし「ギアボックス・オブ・ザ・イヤー」といった賞典があったなら、ボクは間違いなくビートに最高点の10点を入れる。
ハンドリングはもちろん楽しいし、素晴らしいエンジン、素晴らしいギアボックスとのコンビネーションは、最高に楽しいドライビングを満喫させてくれる。
コーナーを追い込んでいくと、徐々にフロントがアウトに流れ出し、アンダーステアは強くなっていく。このセッティングは正解だ。ビートのリアはテコでも動かない、といったしつけをされている。誰でも買えて、誰もが乗れるクルマであれば、この方向の性格づけは正しい。カウンターステアを決める楽しみがないとか、もう少しタックインをうまく使う鋭角的なターンができれば……といった意見を持つ人がいるかもしれない。それも当然だ。それでも、ボクは徹底的に安定サイドに振ったこのハンドリング性能に賛成する。
ビートを走らせて不満を抱いたのは、ブレーキだった。利きがどうのこうのというよりも、ロックの出方に問題があるのだ。ロックは、もちろんフロントから先に起こる。直進状態での方向安定性という点では問題はない。しかし、少しでも旋回状態にクルマがあるとき、たとえばコーナーにちょっとオーバースピードで入ってしまい、どうしてもブレーキを踏まざるを得なくなってしまった……そんなときに比較的簡単にフロントがロックしてしまう。これが困るのだ。そんな状態でフロントがロックすれば、当然クルマはコーナーのアウト側に向かって一直線に滑り出す。ミッドシップレイアウトは、ブレーキに関しては有利な点もあるが。最後の利きとかロックの起こり方というあたりは、絶対的なフロント荷重の小ささがマイナスに作用する。よほどうまくセッティングしていないと、ハードなブレーキングでは、絶対的な利きやフロントロックの問題が浮上する。残念なことに、ビートはそのマイナスがはっきりと出ている。
以前から、ボクは「Kカーはジーンズのようなクルマであってほしい」と言い続けてきた。ビートはそんなボクの主張に一歩近づいたクルマに思える。ラゲッジスペースがないという大きなネガを持っているが、ジーンズのように「クラス」を感じさせないクルマ、小さいことを自慢できるようなクルマ、そんな方向を目指していることは間違いない。デザイナーズブランドのジーンズ、ビートはそんなクルマではないか。
こうした方向で、新しい魅力を持ったKカーが次々に登場してくれることを、ボクは大いに期待する。
※CD誌/1991年8月26日号掲載