20世紀の乗り物発展史。報知新聞の予測

1901年に報知新聞が掲載した「乗り物の発展予測」。飛行機、鉄道、クルマなどの今昔比較。

100年間で移動手段はどう発達してきたか

18_03_百年前の予言 本文用.jpgイラスト●那須盛之

 人間の乗る熱気球が、初めて飛んだのは、1783年11月21日のパリ。ルイ16世と群衆の見守る中でだった。気球は約25分、パリを南に縦断、セーヌ川を越えて着地した。この日の催しには、アメリカの政治家で科学者のB・フランクリンも参列していた。「気球なんて何の役に立つんだ」という声を聞いて、こういった。「生まれたばかりの赤ん坊が、何の役に立ちますかね」

 ところで、20世紀を迎えた1901年1月2日、3日の報知新聞が「20世紀の予言」という特集を連載した。23項目のテーマについて、それぞれが20世紀にどんな進歩を遂げるかを、予言している。そしてその大半が的中している。

 取り上げられた各テーマは、当時はどれもが、フランクリンのいったように「生まれたばかりの赤ん坊」か、これから生まれる胎児だったのだ。1世紀前の予言のいくつかを紹介し、当時はそれがどんな状態にあったかを思い出してみよう。

 まず「自動車の世」というテーマ。20世紀は自動車時代だというのだ。「馬車は廢せられ之に代ふるに自動車は廉價に購うことを得べくまた軍用にも自轉車及び自動車を以て馬に代ふることとなるべし從って馬なるものは僅かに好奇者によりて飼養せらるるに至るべし」とある。

 この予測をした1900年、1年間に製造された自動車は、フランスが1位で4800台、アメリカ4192台、ドイツ800台、イギリス175台だった。アメリカの生産台数の内訳は、蒸気が1681台、電気が1575台、ガソリン車は、わずか九936台、そしてアメリカ全土の保有台数は8000台で、半分は電気自動車だった。

 アメリカ在住の日本人が、皇太子(大正天皇)の結婚を祝って電気自動車を贈ったのが、この年である。

 初めての左ハンドル車、T型フォードの誕生はその8年後だし、第1次大戦で、自動車の役割をはっきり世界に認識させたパリ郊外・マルヌ戦線でのパリ・タクシーの活躍は、14年後である。

 報知新聞の予言に戻ろう。「7日間世界一周」では、こう書いている。「19世紀の末年に於て尠くとも80日間を要したりし世界一周は20世紀末には7日を要すれば足ることなるべく、また世界文明國の人民は男女を問はず必ず1回以上世界漫遊をなすに至らむ」

 一周の手段には触れていないが、これも見事な予言だ。蒸気エンジンの飛行機はすでに1890年にフランスで成功しているが、ライト兄弟の飛行機の誕生(1903年)は、まだだった。

 当時のある程度安定した空飛ぶ手段は、冒頭に書いた気球である。フランスの作家、ジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』に登場するのも気球だ。

 明治維新直後の1872年5月、岩倉具視らの米欧視察団は、アメリカ・ボストン郊外で「空船」(気球)に乗っている。そして「1870年の普仏戦争で、敵の包囲網を突破したり、偵察に、フランス軍の空船が活躍した」という新知識を旅行記録に残している。『80日間世界一周』が書かれたのは翌73年だった。

 次の予測に登場する飛行船「ツェッペリン」は、1900年夏に1号艇の初飛行が行われたばかりだ。ツェッペリンが12日半で世界一周をしたのは、1929年。東京を空から訪問し、霞ヶ浦の海軍航空隊基地に停泊した。東京の帝国ホテルには、一行41人のために上等の部屋を用意したという記録が残っている。

「空中軍艦空中砲臺」。このテーマはツェッペリンの誕生に刺激されたのだろう。こう書いている。「チェッペリン式の空中船は大に發達して空中に軍艦漂ひ空中に修羅場を現出すべく從って空中に砲臺浮ぶの奇觀を呈するに至らん」

 そして、第1次世界大戦が始まると、ツェッペリンは、爆撃に参加、1915年1月にはロンドン、パリを空襲して市民を脅かした。しかしこの大戦では、飛行船に加え、飛行機も「空中に修羅場」を招くことになった。

 最後に「鐵道の速力」を。「速力は、急行ならば1時間150哩(約240km)以上を進行し東京神戸間は2時間半を要しまた今日4日半を要する紐育桑港間は一晝夜にて通ずべし」。さらに冷暖房の完備を予言し、「動力は勿論石炭を使用せざるを以て煤煙の汚れ無くまた給水の爲に停車すること無かるべし」という。

 日本では1889年に、東京~神戸間の東海道線601.2kmが全通した。しかし平均時速30.1kmで、神戸~東京間は約20時間かかっていた。この時代に「2時間半」を予言していたのである。特急が走り出して12時間足らずになったのは、1912年だったし、丹那トンネルが開通して、距離が11.7km短縮、特急「つばめ」が8時間半で走れるようになったのは、1934年だった。(文中の漢数字を適宜算用数字に変更させていただきました)

 名コラムニスト、岡並木さんのアンコール・エッセイをお届けしました。
 (2000年3月26日号原文掲載)

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