【サマーバカンス特集】北欧の登山鉄道と大瀑布/スカンジナビア2

名コラムニスト、栗田亘さんのスカンジナビア紀行、その2。フロム鉄道(登山鉄道)を利用してフロムからミュルダーグルまで移動。フィヨルドの静かな海の風景から一転して、谷あいの静かな集落、牧場などが見ながら上っていくと、途中で大きなヒュース滝が待っていた。その滝で、赤いドレスを着用した妖精を見た。

自己責任で観光を楽しむ

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▲ヒョース滝 フロム鉄道最大の見どころ 豊かな水量で全落差は225m 上のほうの岩場で赤い"妖精"が踊っている

 ボクの叔父の一人はカメラマンだった。はるか昔、ボクが新聞記者になったとき、カメラの手ほどきをしてくれて、こう言った。「いいか、現場に行ったら何はともあれ一番前に出て、まず一枚シャッターを切れ。ペンの取材はあとからでもできるが、カメラ取材は写っているかどうかが勝負なんだ」

 とりあえず撮って失敗が少ないといえば、広角レンズが優る。それで35ミリレンズのキヤノンを買って、配属先の支局に赴いた。一眼レフなどまだほとんど無かったフィルム時代の話である。

 スカンジナビア3国を巡る旅に、ボクはフジのX―H1というミラーレスデジタルカメラを携行した。気に入っている逸品で、いつも付けているレンズは35ミリ換算27~203ミリのズーム。

 連れ合いはソニーのサイバーショットDSC―HX90V。手のひらに入るほどのコンデジだけれど、35ミリ換算で25~750ミリという30倍光学ズームレンズ。液晶だけでなく、ファインダーも持つ。

 シャッターチャンスを逃さない。となると、どちらが強力か。はからずも、そんな場面が出現した。

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▲フロム鉄道が停車するたびに赤い"妖精"が登場 数分間踊って姿を消す 肉眼だとほとんど点にしか見えない 超望遠レンズならくっきり映る

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 ノルウェーの世界遺産ソグネフィヨルドの景観を楽しむ2時間のクルーズを終えて、ボクたちはガイドブックが例外なく絶景を推奨するフロム鉄道=登山鉄道に乗った。船着き場のあるフロムから幹線と交わるミュルダールまで全長20.2キロを1時間かけて上る。最大斜度は5度。18メートル進むごとに高度を1メートル稼ぐ計算だ。最高時速は上り40キロ、下り30キロ。

 登山電車ではあるが、標準軌(1435ミリ、日本の新幹線と同じ)だから、車内はゆったりしている。

 電気機関車が6~7両の客車を引く。団体客は後部の車両にグループ別に振り分けられる。夏のトップシーズンは1日10往復。全車両ほぼ満席だ。

 出発。氷河が造った、フィヨルドの景色とはまた異なる景観がつぎつぎに現れる。谷間の小さな村、童話のような家と教会。谷と川を横切る。夏は豊かな緑だが、冬は白い神秘的な姿に変わるという。秋は色とりどりに染まる木々、春は雪が残る山頂を背景に滝の音が響きはじめる。ヤギの放牧場がある。伝統的なゴートチーズが作られている。

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 急峻を滝が流れ落ち、その脇を狭い道がくねくね、くねくねと沿っている。かつて鉄道建設工事のために作られた道。サイクリストに人気のコースだそうだ。あそこを一気に下れば、さぞ爽快だろう。でも、勢い余って道から飛び出したらどうなる。ガードレールの類いは、いっさい無い。

 そこまで考えて、そうか、と気がついた。この国には、ガードレールとか柵がきわめて少ない。風光明媚な断崖絶壁の写真を見ても、人びとが覗き込むぎりぎりのところに、柵は無い。別の日、ベルゲンで古い城壁を見学したとき、土手を上ってさらに一歩踏み出そうとして、危うく落ちるところだった。土手の向こうは切り立った崖だったのだ。

「自己責任」。それが徹底している。自分で用心せよ。くねくね道も景観的にはガードレールは無いほうがいい。ノルウェーだけでなく、そのあと旅したスウェーデン、デンマークでも、考え方は同じだった。コペンハーゲンの運河も、ガードレール無し。落ちる人も結構いるという。でも、自己責任。

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 トンネルを出ると、左側の車窓に壮大な滝。同時に、大音量の音楽が聞こえてきた。

 電車が止まる。車両の前半分は、次のトンネルにかかっている。

 駅でもないのに、プラットホームがある。ドアが開いて、乗客はぞろぞろと下りる。ホームは人でいっぱいだ。ホームの滝に面した側には、さすがに柵が設けられている。みんな、ざわざわと滝が見えるほうに移動する。ボクは、だいぶ遅れた。

 海抜767メートルにある氷河湖を水源とするヒュース滝である。全落差225メートル、全長700メートル、滝上部の海抜は670メートル。  人びとがざわめく。巨大な滝の真ん中辺りの岩場で、赤い衣裳をまとった女性が曲に合わせて踊っているらしい。出遅れたボクは、懸命にシャッターを切るが、いかんせん、人が多すぎ、滝は雄大であり、踊る女性は遠すぎる。ふだん持ちのレンズを75~345ミリのズームに付け替えようとするうちに、踊り終えた女性は岩陰に姿を消した。

 この地の民話には、地下に住む妖精が登場する。彼女は魅惑的な歌声で男の旅人を山中深く誘い込むという。踊る女性は妖精なのだろう。

 その妖精と滝を、連れ合いはみごとにコンデジで撮っていた。プロパティーで確認すると、25~750ミリのズームを存分に駆使している。うーむ。反省する。なによりの悔いは、昔むかしの叔父の教えの第一条、現場では一番前に出よ、を守れなかったことだ。連れ合いは、こういうとき、出遅れなんてことはほとんど無い。

 にしても、とりあえず撮るということなら、コンデジは有利だ。さらに便利なのは(望遠・広角性能はともかく)スマホだろう。カメラ業界がスマホに押されっぱなしな現状はよくわかる。

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 フロム鉄道が建設される前、一帯は陸の孤島だった。ぽつんぽつんとある集落に行くには、切り立った尾根を辿るしかなかった。

 1923年、物資輸送を目的とした鉄道の建設が始まったが、工事は難航する。全線のトンネルは20。そのうち18はすべて手掘りで、最長のトンネルは1350メートルもある。1メートル掘り進むのに1カ月を要した。全線開通は1944年。

 終着・始発駅のミュルダールに着く。海抜867メートル。ミュルダールには工事期間中100人ほどが住んでいたが、現在は人口ゼロ。駅に通じる道も無い。

 駅の窓口でフロム線乗車証明書を売っている。と、あとで知った。

 ここでオスロとベルゲンを結ぶ幹線・ベルゲン鉄道に乗り換え、ボクらはベルゲンのホテルに戻った

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▲ノルウェー王国:面積は38万6000㎢、人口は525万8000人(2018年1月)。首都はオスロ、言語はノルウェー語。1905年、スウェーデンとの同君連合を解消して独立。政体は立憲君主制で、元首はハロルド5世国王。EUは非加盟だが、EUとの経済関係は緊密である (外務省のデータから)

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