ロールス・ロイス物語第2回

年齢もキャリアも異なる2人が自動車の未来を予感する

 伝記作者は次のように書いて、C・S・ロールスとF・H・ロイスを比較している。

 ロンドンの富裕な貴族の家に生まれ、ケンブリッジ大学で工学を専攻、何不自由なく育ったC・S・ロールスについては、「ダンディで、メカを好み、ビジネスマンでありパイオニアである。ご婦人方に愛される弁舌家で、心からクルマを愛し、ユーモリストでもある。若き電気技師であり、サイクリストとして後年「天与の才」と評され、ケンブリッジ大でサイクル・クラブの主将となる。『自転車の喜び』の一文を書き、蒸気自動車を運転し、のち自動車を知ってそのとりことなった。知性を示す風貌が、生来、好奇心に冨み、敏捷で、警戒怠りないといった本性を弱めて見せるようでもあった」と。

 しかし、伝記作者も認めるように、金銭の始末については異常なほど注意深く、その点で相棒となるロイスと一脈通じた気質を持ち合わせていたようである。
顔きまり使う.jpg▲チャールズ・スチュワート・ロールス(写真左) とフレデリック・ヘンリー・ロイス(写真右)

 そうしたロールスに対して、リンコルンシャーで製粉業を営む家庭に生まれ、9歳で徒弟奉公に出されて学校もろくに出ず、独学力行の人物だったF・H・ロイスについては、伝記作者はこのように書く。

「とにかく大男だ。6フィート2インチ(約182cm)の背丈で、がっしりした体格、そして黒々とした髪の毛は陽が当たるとわずかばかり赤みがかって輝いた。あごヒゲは固く短く、しかも密生して、後年には、何か特別の行事のときだけ手入れしたものだ。そして牡牛のように強かった。握手をすると、がっしりと握られ、ときに痛かった。普段の話しっぷりは、ゆっくりとはっきりとして、声はファルセット(うら声)のようだった」
 若い時代にアーク灯のもとで根をつめて仕事をつづけたために、晩年になって視力を失うことになるロイスだが、若いころは、カッと開いた青い眼で、話す相手を見すえたと書かれている。

「この若き電気技師は、いつも明るい激情を持ちつづけていた。彼の趣味は、エンジニアリング、写真、音楽、造園、絵画、農場、天文学だった。熱狂家であり、皮肉屋さんでもあった。たいへんな子供好き。規律家。創造的な発明家だったことはむろんである。また家族を愛し、家長でもあった」と、年代記作者はさらに付け加えている。
P90390547_highRes_cs-rolls-first-non-s02.jpg▲1910年6月にロールスはパイロットとしてドーバー海峡をノンストップで往復飛行に成功した これは世界初の快挙で英国王室から称賛の手紙を受け取る栄誉だった

 片方は鳥のように軽やかで、才走った男、もう一方は牛のように少々のことに驚かない大人物である。背丈がロールスの方がわずかに低く、細身だったと伝えられるけれども、その風貌や姿勢は余りにもかけへだたっていたようである。生まれも育ちも違い、一見、水と油のような両極端の二人が、どのようにして、生涯を通じて友情を持ちつづけて共同の事業をつづけるまでに理解し合えたのであろうか。

1904 ROLLS-ROYCE 10HP, TWO CYLINDER CAR.jpg▲1904年ロールス・ロイス10‌hp スチュワート・ロールスは1896年にパリでプジョー・フェートンを父親からの資金援助を得て購入 最初の長距離ドライブはロンドン〜ケンブリッジだった

 それは1904年のはじめのころだと、もう一人の年代記作者は書きのこしている。「二人の友情は、マンチェスターのグランド・セントラル・ホテルの食堂で出会ったときに芽生えた。それは、ロイスの小さな電気クレーン工場で手づくりで仕上げられた2気筒のライトカーに、一人が運転席に座り、一人が前座席に腰を下ろしたときにはじまった」と。

 当時、『ロンドン・タイムズ』の自動車担当記者は、こう書いた。

「エンジンが始動したときの静かさは印象的だった。に人々は、その音を意識することはなかった。そして歩行者はクルマが近づいてくるのに気がつかないように見えた」と。

 やがて、二人の間に合意が交わされ、パートナーシップを約束する署名が行われた。それは1904年12月23日だった。この合意にもとづいて、ロイス社は、C・S・ロールス社に4種類の型式のクルマを供給することになった。

1905 - 1906 ROLLS-ROYCE 20HP.jpg▲1905〜1906年 ロールス・ロイス20hp 1906年にロールスとロイスは会社を興す

 当時のクルマのスペックは、ざっと次のとおり。ロールス・ロイス10‌hpで全長約3m60cm、全幅1m74cm、時速56km/hとなっていたから、なかなかの代物だったに違いない。そして、ロールス・ロイスの特徴のあるラジエターと新バッチのクルマが誕生する。

 ロールスとロイスは、ふたまわりほどの年齢の違いはあったけれども、誕生したばかりのライトカーの上で、二人とも、自動車の未来を同じように予感したことであろう。ロールスも、そしてロイスも、20世紀の初期に生きる技術家として、自動車の「未来」に魅いられていたのである。

C.S ROLLS STAND, 1906 OLYMPIA MOTOR SHOW.jpg▲1906年11月にロンドンで開催されたオリンピア・モーターショー Rの文字を重ねたロゴマークが早くも使われている

SNSでフォローする