ロールス・ロイス物語第1回

ロレンス大佐の砂漠を駆け回るシルバー・ゴーストは地位の象徴だった

顔きまり使う.jpg▲チャールズ・スチュワート・ロールス(写真左)と フレデリック・ヘンリー・ロイス(写真右)

 超大作映画『アラビアのロレンス』(1962年)を見た人は、いつまでも、あの素晴らしいラストシーンを忘れないだろう。砂漠を舞台に大がかりなスペクタクルをくりひろげた3時間映画の結末は、どこまでもつづく熱砂の道を映し出し、その中をロレンス大佐を乗せたクルマが疾走していくシーンだった。

 第一次世界大戦(1914~1918年)のさなか、イギリスの情報将校としてアラブの砂漠で戦ったトーマス・エドワード・ロレンスは、宿願のアラブ統一の夢を遂げることができないまま、祖国イギリスへの帰還命令を受ける。

P90240988_highRes_rolls-royce-spirit-o.jpg▲ロールス・ロイスの「スピリット・オブ・エクスタシー(恍惚の妖精)」

 ロレンスは運転手付きのクルマに乗る。ロールス・ロイスのシルバー・ゴースト号だ。勲功によってロレンスは大佐に昇進していたのだ。カメラは、座席からフロント越しに、ボンネットの上にさん然と金色に輝くカー・マスコットを大写しにする。

P90070648_highRes_eleanor-thornton.jpg▲マスコットのモデルになったといわれるエレノア・ソーントン

 このマスコットこそ、スピリット・オブ・エクスタシー(恍惚の妖精)と呼ばれる、ロールス・ロイス車のシンボルだからである。つまり、地位の象徴であるロールス・ロイスに乗って、大佐になったロレンスが故国へ帰っていくという意味なのだ。
 東洋風にいえば、錦を飾って故郷に帰るシーンなのだが、ロレンスは、しかし、アラブ統一を果たせない傷心を胸に抱いている――その心中はいかに......。心憎いばかりのラストだ。ロレンスにはピーター・オトゥールが扮した。

COLONEL T.E. LAWRENCE AND ROLLS-ROYCE SILVER GHOST TENDER, 1916.jpg▲第1次世界大戦中に英国のT・E・ロレンス大佐(助手席の人物)はアラビアで情報活動を展開 ロレンスはオックスフォード大学卒業後アラブの専門家として遺跡の発掘活動などを行っていた 映画に登場する車両のボンネットには"恍惚の妖精"が付いているが実車にはマスコットがない

 ロレンス研究の第一人者として知られる中野好夫先生の名著『アラビアのロレンス』の中に、次のような記述がある。
「(スカスに近いトルコ軍の拠点にあった)デラアは9月20日には完全な孤立に陥った。ロレンスもまた装甲自動車(これがRR=ロールス・ロイス製)を駆って、それら各地に相変わらず神出鬼没の活動をつづけていたが、9月18日にはデラアの南、ナジブにおいて彼としては79回目、そして最後の鉄道爆破に成功した」(カッコ内は筆者注)。

「余談だが、この帰途の旅にも、いかにもロレンスらしい挿話があり、彼が進んで大佐の官等を要求したというのである。......それによると、イタリア=フランス間の軍用列車では、大佐以上にしか寝台が許されない、したがってそのためだけに、一時でもよいから大佐にしてくれというのである......」。そんな野心の持ち主だけに、故郷に錦を飾るにはロールス・ロイスが必要だったのだ。

1906 TOURIST TROPHY, THE ISLE OF MAN.jpg▲1906年9月に英国で開催されたマン島TT(ツーリストトロフィ)レースにロイス自身が参加 ロールス・ロイス20hpをドライブして優勝した 

 ロレンス伝説はいくつもあるらしいが、金色の妖精のカー・マスコットのついたロールス・ロイスは、彼のこよなき愛用車であり、それはイギリスそのものでもあったのだ。
「世界における最高の自動車」――ザ・ベスト・カー・イン・ザ・ワールド――という言葉は、ロールスとロイスを結びつけた信条のひとつで、それはその後の広告コピーなどにも使われることになるのだが、(ロールス・ロイス社を創業した)チャールズ・スチュワート・ロールス(1877~1910年)と、フレデリック・ヘンリー・ロイス(1863~19333年)の二人の心には、T・E・ロレンスにも見られるような、「祖国イギリスのため」という愛国心が深く根をおろしているように、ボクには思える。3人ともに違った生き方をしたのだが......。

1905-1906 ROLLS-ROYCE 30HP.jpg▲1905〜1906年ロールス・ロイス30hp 6.2リッター直6エンジンを搭載 トランスミッションは4速MT 全長は約4m

 ロールス・ロイスについて書かれた本はゴマンとあるが、ここに1冊「ロールス・ロイスは少なくとも英語世界ではエクセレンス=優秀と同義語だ」と、ほめちぎっている『ザ・コンプリート・ブック・オブ・ロールス・ロイス』から、いま一度、「世界における最高の自動車」についての記述を紹介しておこう。
「この表現は、たしかロールス・ロイスが6気筒30‌hpモデルを発表した1905年ごろ、広告の中にはじめて登場した。しかも大切なことは、そのようにいわれたという点ではなく、75年間(本稿執筆は1980年ごろ、編集部注)も生きつづけてきたという事実である」と。

 とにかく、イギリスにとっての最高のクルマは、日本でも富裕層のステイタスシンボルでもある。さらに、次のような世界一ごっこのような解説もある。
「世界におけるベスト・スリーを挙げると、第1はシルバー・ゴーストであろう。それは最大のエドワーディアン・ツアラーだ。第2はコンチネンタル・ファントム2で、30年代を彩る最も瀟洒なグランド・ルーチェである。第3はこれまたRRのシルバー・レースである。これらのクルマは、第1次大戦後のクルマ社会において他に並び立つものがなかったモデルである」と。とにかく、ロールス・ロイスにあらざれば自動車でないかのように書かれている。

 C・S・ロールスと、F・H・ロイスの二人がはじめて会ったのは1904年のことで、ロールスが27歳、ロイスは41歳だった。

 運命的な出会いだったというべきだろう。生まれも育ちもまったく両極端だった男同士が、生涯を通じて信じ合い、世界に冠たるイギリス高級車を創り出したからである。

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