2025年のニュル24時間にはGRヤリスのAT仕様(DAT)で参戦。モリゾウは「参戦の目的は2007年からまったく変わっていません。当時は成瀬さんとボクの2人でしたが、現在はプロドライバー、メカニック、エンジニアなどたくさんの仲間がいる。仲間と新たなステップを目指します」と話す
「GRとは何か?」を理解するためには、まずは元祖GAZOO Racingの歴史を振り返る必要がある。そもそもGAZOOの発端は1996年に開発した中古車検索の画像システムで、画像と動物園(ZOO)の造語だった。このシステムを開発したのは当時“業務改善室 室長”だった豊田章男氏である。
当初は専用端末を中古車販売店に設置。1997年にはインターネット上に会員サイトをオープンする。それが「GAZOO.com」だ。当時トヨタはエンドユーザーとの接点がなく、「お客さんの声を直に聞きたい」という思いから生まれた。このサイトに用意されたコンテンツのひとつが「GAZOO Racing」である。
かつてトヨタは2000GT、スープラ、セリカ、MR2、MR-Sなどさまざまなスポーツカーをラインアップ。セダンにも高性能エンジン搭載の「羊の皮を被った狼」のようなGTグレードが設定されていた。しかし、当時のトヨタは台数が見込めないスポーツカーはリストラの対象で、MR-Sの生産が終了した2007年にはスポーツモデルが完全に消滅していた。効率や業績、数字だけを追い求めていくと、ビジネスとしては「スポーツカーは不要」という考え方は正論である。その当時、トヨタは販売台数で世界No.1になった。しかしクルマ好きからの評価はというと? 「トヨタはつまらない」、「ほしいクルマがない」と完全にソッポを向かれていた。
そんな状況にトヨタ社内で「ちょっと待った」を掛けたチームがあった。それがモータースポーツを通じて自動車ファンを増やすことを目的に、マスタードライバーの成瀬弘氏とモリゾウこと豊田章男氏を中心に有志で設立された「元祖GAZOO Racing」だった。
発足当初はトヨタの正式なプロジェクトではなく、同好会のような組織だったという。トヨタの名前を使うことは許されず、GAZOOの名を使った。このときの悔しさを豊田氏はいまも忘れていない。
トップガンとも呼ばれ「トヨタ車の味づくり」を担っていた成瀬氏は、日ごろから「モータースポーツは人材育成に最適な場」と語っていた。その一環として2007年にニュル24時間レースに初挑戦。モータースポーツに関しては素人同然で試行錯誤の参戦ながら見事に完走を果たす。ただし実際は24時間を何とか走り切った……という満身創痍状態だった。しかし、レースという極限状態を通じて「人を鍛え」、「クルマを鍛える」ことで、「もっといいクルマ作り」にフィードバックできることがよくわかったそうだ。
その後、2008/2009年のニュル24時間レースには開発中のレクサスLFA(当時はLF-Aと呼んでいた)で参戦。それはプロモーションでも話題作りでもなく、純粋な開発テストだった。豊田章男氏は、「走りにこだわるクルマはニュルで鍛え、育てないとダメです。テストコースの中でNVHを見ているだけでは不十分。クルマはもちろん、エンジニアの意識改革もしないといけないと思いました」と語る。モータースポーツを開発の現場として活用したのだ。LFAは2009年の東京モーターショーで量産モデルを発表した。
GAZOO Racingの発足と同じタイミングでトヨタの商品企画部に「BRスポーツグループ」、技術部の中に「BRスポーツ車両企画室」と呼ばれる期間限定の特別組織が生まれた。目的はズバリ「今後のスポーツモデルを考える」だった。その成果が、スバルとの共同開発したFRスポーツの86、そして量産モデルに独自のチューニングを施した「スポーツコンバージョンモデル(G’s/GRMN)」だった。
これらの取り組みはトヨタ社内を活性化させ、それに合わせて規模も拡大。その活動に共感するメンバーが増え始めた。そして2015年にはGAZOO RacingからTOYOTA GAZOO Racingへと変更された。同好会のような組織がトヨタの正式部隊へと昇格したのだ。「小さなトヨタ」が「大きなトヨタ」を変えたのである。
その後、2016年に社内カンパニー制度で「TGRファクトリー」、そして2017年には「GRカンパニー」と他のカンパニーと肩を並べる存在にまで成長を遂げた。
現在、TOYOTA GAZOO Racingのワークスモータースポーツ活動はWRC(世界ラリー選手権)とWEC(世界耐久選手権)に参戦。ニュルブルクリンク24時間レースはコロナウイルスの影響で2020年以降は休止していたが2025年から再開。豊田氏は「ニュルは、モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくりの原点になります。今後も続けていきますが、今年からは同じ志を持つルーキーレーシングと一体化したTGRRで戦います」と語っている。
それ以外にもトップカテゴリーからグラスレースまでさまざまな支援を行っている。モータースポーツの裾野からトップまでの道筋をしっかりと作り上げているのだ。
量産車は2019年にBMWと共同開発でGRスープラが17年ぶりに復活。2020年にはWRCマシンの技術を受け継いだスポーツ4WD、GRヤリスを発売。このモデルはトヨタが失っていたスポーツ4WDの技術/技能を最短で取り戻すために、モータースポーツから学ぶクルマづくりを愚直に行ったモデルだ。
このモデルを皮切りに、「もっといいクルマづくり」は「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」へとステップアップ。2021年に2代目GR86、2022年にはGRカローラが登場した。
10数年前にスポーツカーゼロだったトヨタが、いまではスポーツカー4兄弟をラインアップするとは驚きでしかない。風のウワサでは現在「GRセリカ」の開発も進んでいるとか⁉
GRは大きな組織へと成長を遂げたが、「トヨタを変革する起爆剤」、「モータースポーツをもっといいクルマづくりに活かす」という目的は、発足時と変わっていない。ただ、豊田氏は「注意していないと、すぐ悪いトヨタに戻ってしまう」と危機感を持っている。改革の手を止めることはない。
GRのモータースポーツ活動には3本柱がある。まずニュル24時間レース。世界選手権ではないが、GRカンパニーの方向性を明確に表している。クルマづくりからレースオペレーションまでトヨタの量産車開発を行う社員が担当。極限のレースを通じて、クルマ・人・チームを鍛えることで、「いいクルマには何が必要か?」という答えや基準を見つける、究極の人材育成の場といっていい。
WEC(世界耐久選手権)は「勝つ」が最大の目的だが、「ハイブリッド技術を鍛える場」としても認識されている。ドイツに拠点を持つTGR-Eがオペレーションを担当。風洞施設の貸し出しやGRスープラGT4の開発も行っている。
WRC(世界ラリー選手権)もWECと同じく「勝つ」が目的。勝つクルマをつくるために「量産車はどうあるべきか」という連携を行っている。フィンランドに拠点を持つTGR-WRTがオペレーションを担当。Rally2マシンの量産も行っている。
これ以外にもスーパーGTやスーパーフォーミュラ、トヨタ社員がエンジニア/メカニックとして車両製作から参戦まで行う全日本ラリー選手権、レクサスRC F GT3のグローバル販売&カスタマーサポート。また、ワンメイクレースのGR86/BRZ Cup/Yaris Cup/ラリーチャレンジなどの運営も実施。若手ドライバーの育成も熱心に進めている。裾野から頂点までしっかりと押さえている点が、GRの最大の強みといえる。