【CD取材ノート】タイプRは特別な存在。乗りたくて必死に企画を考えていました! by 西川淳

NSX-RメインタイプRで思い出すのは、やはり初代NSX

 「タイプR」と聞いてまず思い出すのは、当然のことながらNA1型のNSX-R、初代タイプRだ。面白いことに最初のNSX-Rはちゃんと「タイプRである」とリリースにも書いてあった。だが次のモデルではNSX-Rが正式名になっていた。どうしてそうなったのか不思議でならない。当時、きちんと聞いて、疑問を解消しておけばよかったと思う。まぁ、その時は、あまり気にならなかったのだ。

 それはさておき、思い出もまた初期型NSX-Rに関してだ。国産ヴィンテージイヤーでもあった1988年から91年の間に自動車メディア業界に忍び込んだ筆者にとって、ホンダNSXは日産スカイラインGT-Rと並んで、その時すでに「名車」だった。とくにNSXは憧れの存在で、とにかく乗りたい一心でできるだけ長く借り受けできる企画を考えたものだった。

NSX走り

NSX室内

 中でも2本の長距離ドライブ企画が強く印象に残っている。1本目は当時の国産最強マシン(280psモデル)を集めて北海道までドライブするという今となっては夢のような企画だ。NSX-Rを筆頭に、スカイラインGT-R(BNR32)、フェアレディ300ZX、スープラRZ、GTOの5台だったように思う。目的地は十勝サーキット。スパルタンなモデルであるにも関わらず、居並ぶGTカーと変わらぬツーリング性能を提供し、サーキットではダントツの能力を見せつけた。街中ではキツかったけれど。

 2度目もロングドライブ企画だった。都内から一旦北上して栃木へ、そこから折り返して鈴鹿に向かうというホンダ詣の旅だった(もてぎはまだ完成してなかったけれど)。なぜよく覚えているかというと、それが真夏(8月)でしかもエアコンレスの広報車であったからだ。エアコンレス(タイムアタック用個体だったのだろうか)ということで夏は誰も借り手がいなかった。ずっと空いているというので喜んで預かった。そして栃木でのイベントとポッカ1000kmの取材に向かったのだ。タイプRの魅力は酷暑を凌ぐ、というお話である。

シビック01

シビック02【プロフィール】
西川淳(にしかわじゅん)/奈良県生まれ。クルマを歴史、文化面から技術面まで俯瞰して眺めることを理想とする自動車ライター。大学では精密機械工学部を専攻。輸入車やクラシックカーなど趣味の領域が得意ジャンル。AJAJ会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

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