クルマとの最も古い記憶は“助手席の私”だ。運転席の叔父を憧れの眼差しで見上げている。私の小さな右手はTA22セリカのシフトノブを握っていて、グラブをつけた叔父の左手で包まれていた。「淳、次は2速だぞ」。叔父の掛け声で右手を動かす。何かの仕掛けがどこかにカチッと収まる感触とともにエンジン音は勇ましくなってセリカはグォウンと加速した。
私にとってクルマは、だからマニュアルミッション車でなければならず、これまで乗り継いできた70台以上の愛車の中で9割近くを占めている。初めての愛車は叔父と一緒に見つけたセリカXX(60スープラ)。本当はS130フェアレディZを探していたのに、気がつけばXXの契約書に捺印していた。
実をいうとまったくの想定外で、免許取り立て18歳の私にXXの知識などほとんどなかった。それでも買ってしまったのは、叔父との思い出のセリカと同じ車名で同じ赤だったことに加えて、スーパーカーブーマーならでは刷り込みがあったからに他ならない。
そのことに気づいたのはだいぶ後になってからのことだ。ミニカーを整理していると懐かしいトミカが2台出てきた。1台は初めての愛車と同じ赤黒ツートンのXX。もうひとつがフェラーリ512BB、それもまた赤黒ツートンだった。共通点はそれだけじゃない。2ドアでリトラクタブルライト。XXはきっと十分に“スーパーカー”ではなかったか。
初めての愛車はたいていそうだろうけれど、とにかくよく乗った。「もう住んでしもてるやん」というほどに。実際、大学の友人と旅した北海道では(夏でも)毛布にくるまって車中泊だった。
60スープラのカタチがとにかく好きだ。いま見てもとてもユニーク。インテリアもゴージャスで、デジタルメーターは憧れのマトだった。実をいうといまから25年以上も前、とあるクラシックカー屋さんの取材中に程度極上のセリカXXと出会い、衝動買いして現在も所有している。
当時のXXといえばネオクラともまだいえない中途半端な時期で、“スーパーGTホワイトリミテッド”という貴重なグレードだったにもかかわらず、クラシックカー屋さんの社長も扱いに困っていた。あれから四半世紀、ほとんど乗らずオドメーターは2.5万㎞くらいのままだが、今年はレストアしてちょっとしたイベントを仕込むつもりでいる。
セリカXXの後は7thスカイライン、そしてガイシャの凄さを知ったVWゴルフ2と愛車遍歴は続いた。とはいえ小学4年生の頃から憧れ続けたフェラーリを諦めたわけではなかった。サラリーマン生活を送っていてもなんとかして乗ってみたいと思い続けた。
妙案を思いついたのは結婚を決めた20代半ばの頃だった。当時私はリクルートの関西支社に勤めていたのだが、東京のカーセンサー事業部に移動すれば“乗れる”(買える、ではない)んじゃないかと考えた。
リクルートという会社はいまでこそ世界的な企業になったけれど、当時はカリスマ経営者率いるウルトラブラック(つまり元気と気合が大事)な会社で、それだけに目の前にぶら下がる「人参」もまた異常に美味しかった。私は当時大阪で営業マンをやっていた。人参のひとつに「キャリアウェブ制度」(ボクらは単に自己申告制度と呼んでいたが)というものがあった。働きたい部署を申告し、部門の上長同士の承認が取れたら異動できたのだ。もちろんカーセンサーへの異動を希望した。しかも営業ではなく編集で。そりゃそうだ、フェラーリに乗りたいから異動を希望するのであって、決して白い営業車に乗りたかったわけじゃない。もちろん、そんなことはおくびにも出さなかったけれど!
カーセンサー編集部に潜り込むと、毎週の企画会議のたびにとにかく“跳ね馬ネタ”を出し続けた。なんといっても創刊時に編集部用としてフェラーリ308GTBを導入していたカーセンサーである。入社前にその頃の担当役員と食事に行った際には「僕のドライブする959でF40とバトルしてねぇ」などと当の本人が豪語していた事業部だ。企画はすぐに通るだろうと思っていた。だがなかなか通らない。私が異動した頃はすでに事業として採算の目処がつき始めていて“手堅い”事業運営がなされつつあったのだろう。
それでも企画を出し続けた。なんといっても何万台もの中古車情報の中には跳ね馬だって少なからず掲載されていた。安くてお得な国産中古車ネタばかりじゃツマラナイと言い張った。そしてついにフェラーリをドライブする日がやってきた。12気筒対決という企画が通って、当時のドイツ製V12搭載モデル数台とともに大阪まで512TRをドライブすることになったのだった。
いまでも独特なレザー臭のする室内の、ほとんど地べたかと思うような位置に座って、薄っぺらいシートに背を預け、ホーンボタンの跳ね馬を見て大感動したことを覚えている。オレンジ色で描かれたメーター類の数字も。この時、少年時代の誓いが鮮やかに甦った。乗るだけじゃダメだ、買わなきゃ!
バブル崩壊後、1ドル80円台と円が信じられないくらいに高かった。高級車バブルも弾けていた。アメリカ西海岸からファックスと封書で届く情報には、ディーノ/500万円、BB/800万円、デイトナ/1000万円、275GTB/1200万円といまにして思えば“全部買っておけ!”なプライスリストが長々とあった。そして365BBを買った。中古並行で全塗装済みの多走行車を現車確認なしで通販購入。それは中古車雑誌の編集部員にあるまじき行為である。
わが家に運ばれてきた際には、まるで怪物を家に迎え入れたような気分になった。見よう見まねでエンジンを掛けようとしてまるで掛からず、“えらいもんを買うてしまった”と途方に暮れたものだ。後にレストアすることになるが、その記事がフリーランサーとして初めての連載になったのだから、やはり出会いは運命だったと思う。
以来、70台以上に乗り継いだ。いまはエランやシロカブ(E46カブリオレ)など数台の趣味車に加えて、共同使用システム“ランデヴー”に入会し、996GT3も楽しんでいる。クルマ好きには死ぬまでに一度は自由にドライブしておきたいクルマが山ほどあるものだ。いちいち手にいれることなんて到底叶わないし、買えたところで維持管理が面倒だ(ということを経験上知っている)。ランデヴーのシステムは実にありがたい。
クルマとは、わが人生そのもの。これまでも、そしてこれからも、それは変わらない。
【プロフィール】
西川淳(にしかわじゅん)/趣味のクルマをこよなく愛する自動車ライター。還暦を機に「クルマは哲学的な存在である」という大テーマを掲げ、その存在の本質に迫ってみたいと考えている。またクルマ趣味人にとっての理想郷をふるさと奈良の地で実現すべく、コンセプトワークを本格的に始めたばかり(10年遅れたけれど)。ロードカーもコンペティションも1960年代後半から1990年代前半までのモデルが好物。“クルマが好き”というより“クルマ好きが好き”。京都在住
