2024年シーズン、私は取材者として全日本ラリーに2度、さらに11月のラリージャパンにも足を運びました。ステージで飛び跳ねるように走るラリーカー、沿道の観客との一体感、何より一般道と競技区間(SS)を交互に走る独自のフォーマット。ラリーの世界は、私にとってとても刺激的で、もっと深く関わってみたいと感じていました。
そんな折、2025年4月。ある試乗会で再会した自動車ジャーナリスト・国沢光宏さんに声をかけていただきました。
「コ・ドライバーやってみる?」
思いもよらぬひとことに驚きつつも、私は即座に「やりたいです」とお答えしました。すると、「じゃあ○日、空けといてね」と、まるでランチの約束でもするかのような軽やかさで、参戦が決定してしまったのです。
すぐに喜びが不安に変わりました。「コ・ドライバーって何をするんだろう?」「私に務まるのだろうか……」。しかしその一方で、好奇心と高揚感が勝っていたのも事実です。取材者ではなく、いち参加者としてラリーの世界に足を踏み入れるチャンスが、思いがけず舞い込んできたのです。
本格的な四輪モータースポーツへの出場は、今回が初めてでした。最初に取りかかったのは、装備品の準備です。私は普段、カート耐久レースに出場しており、カート用のレーシングスーツとグローブは持っていました。しかし、FIA公認の四輪競技用装備は一切持っておらず、今回のために新調することに。
まずは難燃性のレーシングスーツとレーシングシューズを購入。コ・ドライバーはドライバーと違い、グローブの着用義務はありません。インナー(バラクラバ)は元々持っていたものを使用しました。問題はヘルメットとHANS(頸部保護装置)です。ラリーではインカムが必須であり、マイクやスピーカーが組み込まれた特殊な仕様が必要になります。これらはすべて、国沢さんが用意してくださった“ゲスト用”装備をお借りすることで解決しました。
装備の準備と並行して、私はラリーの流れを一から勉強しました。とくに重要とされるのが“ペースノート”の作成と読み上げです。ペースノートとは、SS(スペシャルステージ)内のコーナーの角度や距離、路面の状況などを記した指示書のようなもの。ドライバーはこの情報だけを頼りにアクセルを踏み続けるため、コ・ドライバーの声が“命綱”となります。
私はYouTubeで「ラリー ペースノート」「レッキ(試走)」といったキーワードを検索し、実際の映像を見ながら予習。しかし、最もありがたかったのは、経験者の指導を受けられたことです。
国沢さんのご厚意で、私のペースノート作成にはNHK契約アナウンサーでもあり、ラリー経験豊富な上原あずみさんが付き添ってくださいました。上原さんは元・教員というご経歴もあり、説明は明確かつ論理的。とくに「自分が初めてコ・ドラをやったときに知っておきたかったこと」を交えながら教えてくださったので、初心者の私にも非常に理解しやすく感じました。
ペースノート作成に挑む前から、私はすでに“ひとりではない安心感”に支えられていたのです。
迎えた当日。空は雲ひとつない快晴で、まさにラリー日和でした。
競技は1分ごとに1台ずつスタートするため、ゼッケン91番の私たちの出走順は最後尾。最初の1台がスタートしてから約90分後に、ようやく私たちの番がやってきます。出走を待つ時間は、緊張感に包まれながらも装備を整える準備の時間でもあり、心を落ち着ける余裕もありました。
SSが始まると、コ・ドライバーの役割は一気に重みを増します。国沢さんからはこう言われていました。
「ドライバーは、コ・ドライバーの声だけを頼りに動く運転ロボットみたいなものだと思って」
つまり、私の読み上げるペースノートがすべてなのです。私がミスをすれば、ドライバーは路面状況を誤認し、最悪の場合、重大なアクシデントに繋がる可能性もあります。逆に、私が的確に情報を伝えられれば、ドライバーは迷いなくアクセルを踏み込める。それほどコ・ドライバーは“信頼を預かる”存在なのだと痛感しました。
最初のSSでは、国沢さんは「まだ100%は出していなかった」とおっしゃっていました。私が完全に初めてであることを考慮し、間違いがあってもカバーできるようにと、余力を残して走ってくださったそうです。ですが、その走行後、「ちゃんと読めていたよ」とお褒めの言葉をいただけたことが、何よりうれしかったです。
午後に再度、同じコース(SS3)を走行した際、国沢さんは全開でアタックしてくださいました。結果は、午前の初回走行(SS1)から約5秒のタイム短縮。これは、私への信頼が深まった証だと感じています。
「もう読めるだろうと思ったから、100%でいけたよ」――そう声をかけていただいたときの嬉しさは、今も忘れられません。
今回のラリーが、私にとって初めての四輪レース体験となりました。サーキットレースは、接触やポジション争いといった“対他者”の駆け引きがあります。それゆえに、誰かに接触された、邪魔されたという感情が芽生えやすく、私自身はやや苦手意識を抱いていました。
一方、ラリーは“すべてが自己責任”です。ナビゲーションも、判断も、走行も、基本的に“自分たちの判断”に委ねられています。責任は大きいですが、そのぶん、自分の走りに集中できる。そうした独立性こそ、私がモータースポーツに求めていた感覚だったのかもしれません。
SSの疾走感、リエゾン区間での観客との交流、チームと交わす何気ない会話──そのどれもが楽しく、ラリーという競技がこれほど心に響くものだったとは、正直、想像していませんでした。
そして今、私は心の底からこう思っています。「この挑戦、もう一度してみたい」と。