【オートモビルカウンシル2025】デザイン一筋70年。巨匠G・ジウジアーロ氏が元気にメッセージを発信!

ジョルジェット・ジウジアーロ氏はいわずと知れたカーデザイン界の巨匠。ジウジアーロ氏は画家の系譜の家庭に誕生。ファインアートと工業デザインを同時に学び若くして自動車デザインの道へ。御年87歳

ジョルジェット・ジウジアーロ氏はいわずと知れたカーデザイン界の巨匠。ジウジアーロ氏は画家の系譜の家庭に誕生。ファインアートと工業デザインを同時に学び若くして自動車デザインの道へ。御年87歳

日本は大好き!マツダといすゞが縁で60年前に初来日

 2025年のオートモビル・カウンシル(4月11〜13日/幕張メッセ)は、ジョルジェット・ジウジアーロ氏の登場で例年以上の盛り上がりを見せた。いわずと知れたカーデザイン界の巨匠だ。11日と12日に行われたトークショーでは御年87歳とは思えない雄弁さで語り、サインを求めるファンにも気さくに応じていた。
「60年前に初めて来日した」。トークショーで巨匠が強調したひとつが“日本との縁”である。その始まりはマツダだ。21歳で名門ベルトーネのチーフデザイナーに就任してまもない1961年、小型セダンをデザインした。これはマツダ側の事情で開発打ち切りになったが、マツダは続いて中型セダンのデザインをベルトーネに発注。ジウジアーロはエレガントなセダンのプロトタイプを開発した。今回のカウンシルでマツダが展示したS8Pだ。それをベースに、初代ルーチェ/ルーチェ・ロータリークーペの造形が誕生した。

マツダS8Pは後の初代ルーチェ/ルーチェ・ロータリークーペに発展

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いすゞ117クーペはギア在籍時の代表作。量産化に向け初来日。その経験がイタルデザインの設立に活かされた

いすゞ117クーペはギア在籍時の代表作。量産化に向け初来日。その経験がイタルデザインの設立に活かされた

 1965年暮れに移籍したギアではまず、いすゞ117クーペを手掛けた。3カ月でプロトタイプを製作して1966年3月のジュネーブ・ショーに出品。すぐに量産が決まり、その設計もギアが請け負うことになった。しかし「プロトタイプと量産車では設計が違う。外部のエンジニアリング会社の協力を得なければいけなかった」と巨匠はトークショーで振り返っていた。
 この経験が、1967年に独立する際に活かされる。設計会社を経営していたアルド・マントヴァーニ氏を誘い、共同でイタルデザインを創業したのだ。デザインとエンジニアリングを両輪とする体制が整ったことで、巨匠は「生産可能なデザインを提案する」という自らの信条を確立していく。

1974年登場の初代VWゴルフはFF 2BOXを世界標準にした

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出展車のアッソ・ディ・フィオーリはいすゞピアッツアのプロトタイプ

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 出世作となったVWの初代ゴルフ(1974年発売)は、1970年代の角張ったフォルムのトレンドをリードしただけではない。サイド見切りのテールゲートという世界初の技術アイデアが盛り込まれていた。これを発展させたのが、1979年にいすゞのためにデザインしたアッソ・ディ・フィオーリ。1980年代の丸みを帯びたスタイルトレンドに先鞭を付けると同時に、ボンネットやドア、テールゲートの開口線が目立たないボディ構造を開発した。それをほぼそのまま生産化したのがピアッツァ(1981年発売)である。
 ジウジアーロがデザインした量産車は100モデル以上。フィアット・ウーノが880万台、初代ゴルフが600万台、初代パンダが450万台など、メガヒットも多い。巨匠はトレンドリーダーであり、大衆の心も掴んだ。2015年にイタルデザインをアウディに売却した彼は、息子と共にGFGスタイルという新会社を設立し、今もクリエーションを楽しんでいる。

アルファ01

スケッチ

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