2025年のオートモビル・カウンシル(4月11〜13日/幕張メッセ)は、ジョルジェット・ジウジアーロ氏の登場で例年以上の盛り上がりを見せた。いわずと知れたカーデザイン界の巨匠だ。11日と12日に行われたトークショーでは御年87歳とは思えない雄弁さで語り、サインを求めるファンにも気さくに応じていた。
「60年前に初めて来日した」。トークショーで巨匠が強調したひとつが“日本との縁”である。その始まりはマツダだ。21歳で名門ベルトーネのチーフデザイナーに就任してまもない1961年、小型セダンをデザインした。これはマツダ側の事情で開発打ち切りになったが、マツダは続いて中型セダンのデザインをベルトーネに発注。ジウジアーロはエレガントなセダンのプロトタイプを開発した。今回のカウンシルでマツダが展示したS8Pだ。それをベースに、初代ルーチェ/ルーチェ・ロータリークーペの造形が誕生した。
1965年暮れに移籍したギアではまず、いすゞ117クーペを手掛けた。3カ月でプロトタイプを製作して1966年3月のジュネーブ・ショーに出品。すぐに量産が決まり、その設計もギアが請け負うことになった。しかし「プロトタイプと量産車では設計が違う。外部のエンジニアリング会社の協力を得なければいけなかった」と巨匠はトークショーで振り返っていた。
この経験が、1967年に独立する際に活かされる。設計会社を経営していたアルド・マントヴァーニ氏を誘い、共同でイタルデザインを創業したのだ。デザインとエンジニアリングを両輪とする体制が整ったことで、巨匠は「生産可能なデザインを提案する」という自らの信条を確立していく。
出世作となったVWの初代ゴルフ(1974年発売)は、1970年代の角張ったフォルムのトレンドをリードしただけではない。サイド見切りのテールゲートという世界初の技術アイデアが盛り込まれていた。これを発展させたのが、1979年にいすゞのためにデザインしたアッソ・ディ・フィオーリ。1980年代の丸みを帯びたスタイルトレンドに先鞭を付けると同時に、ボンネットやドア、テールゲートの開口線が目立たないボディ構造を開発した。それをほぼそのまま生産化したのがピアッツァ(1981年発売)である。
ジウジアーロがデザインした量産車は100モデル以上。フィアット・ウーノが880万台、初代ゴルフが600万台、初代パンダが450万台など、メガヒットも多い。巨匠はトレンドリーダーであり、大衆の心も掴んだ。2015年にイタルデザインをアウディに売却した彼は、息子と共にGFGスタイルという新会社を設立し、今もクリエーションを楽しんでいる。