【20世紀名車】誰もが憧れたハコスカ代表モデル。「昭和の元気」を象徴する1970年 日産スカイラインHT2000GTの流麗シルエット

1970年式スカイラインHT2000GT。ハコスカにはラグジュアリー思考の「青バッジ」と、レーシーな「赤バッジ」の2種のGTモデルが存在。1970年10月に登場したHT2000GTは青バッジの代表モデル

1970年式スカイラインHT2000GT。ハコスカにはラグジュアリー思考の「青バッジ」と、レーシーな「赤バッジ」の2種のGTモデルが存在。1970年10月に登場したHT2000GTは青バッジの代表モデル

スカG、それはグランドツーリングに誘ったスポーティなパーソナルカー

 1968年に登場した“ハコスカ”の愛称で知られる3代目スカイラインは、“スカG(=スカイライン2000GT)人気”を不動にしたモデルだった。高い人気は、クルマ自体の完成度とともに、巧みなイメージ戦略にあったといわれている。3代目はグランドツーリングの魅力を訴求する独自のCMを展開。ユーザーを魅了した。それが有名な「愛のスカイライン・キャンペーン」である。デビュー当時の月間販売台数は3000台前後で推移していたが、瞬く間に倍増。1970年後半には月販1万台を超えるようになり、3代目の最終的な総販売台数は31万441台に達した。

リア

 当時のスカイラインには4気筒ユニットを積む標準モデルも存在したが、販売主力は圧倒的に2ℓ直列6気筒エンジンを搭載したスカGだった。スカGは、ラグジュアリー指向の青バッジと、スポーツ指向の赤バッジの2シリーズで構成され、青バッジはシンプルに「2000GT」、赤バッジは「2000GT-R」を名乗った。今回の主役は青バッジの2000GTである。

 2000GTは、3代目スカイラインが登場して2カ月後の1968年10月にデビューした。エンジンは日産の上級車に広く使われていたL20型(シングルキャブ仕様、105㎰)。最高速度は170㎞/hを誇った。2000GTは1969年10月、外観を小変更すると同時にエンジンを120㎰(レギュラーガソリン仕様は115㎰)にパワーアップ。さらに1970年10月には、4ドアセダンに加えて、ホイールベースを70㎜短縮して運動性能を高めた2ドアハードトップ(HT)を追加した。
 青バッジの進化はさらに続いた。1971年9月、HTにツインキャブのL20型/130ps(レギュラーガソリン仕様は125㎰)の2000GT-Xが登場。1972年3月には、4ドアにもGT-Xが加わった。

エンジン

 一方、赤バッジの2000GT-Rは、モータースポーツ参戦を目的にしたホットモデルという性格。1969年2月に登場した。レーシングカーR380の技術を投入したS20型ユニットは、当時クラス最強の160psを誇り、最高速度は200㎞/hに達した。GT-Rは1969年5月の「JAF-GP」からレースに参戦。連戦連勝の快進撃を続け、JAF公認レース52勝という金字塔を樹立した。現在でも伝説のモデルとして高い人気を誇っている。

 取材車は、内外装ともにオリジナル状態を維持した1970年モデルのHT2000GT。ボディのコンディションは良好だ。ブルーのボディカラーは数年前に全塗装済み。この作業を行ったときに、ウィンドウ回りのゴム類を新品に交換している。キズやサビはなくバンパーなどメッキパーツの状態もいい。塗装の艶は新車同然である。足元は、スチールホイールと希少な純正ホイールキャップの組み合わせ。タイヤはほぼ新品の国産ラジアル(九分山)を装着していた。

室内

 内装の状態もいい。クーラー(社外品)を装備した室内は豪華だ。助手席側シートにキズがあるが、メーターやスイッチ類は正常に作動。ステアリングホイールはウッドと本革コンビ仕様の純正アイテムが装着されていた。ドア回りのウェザーストリップは交換済み。ビニールレザー張りのシートの座り心地は良好だった。着座位置は低く、スポーティなドライビングポジションがピタリと決まる。

 走りも魅力的だった。シングルキャブ仕様のL20型エンジンは、心地よいサウンドとともに滑らかに吹き上がる。4速ミッションを介した加速は力強く、高速走行でもパワーは十分。100㎞/h巡航時の回転数は4速で約3200rpmである。

 足回りはしなやかな印象。前ストラット式、後セミトレーリングアーム式の4輪独立サスペンションはロードホールディング性に優れている。ステアリングはノンパワーアシスト式だが、操舵力は適度で扱いやすかった。サーボアシスト付きのブレーキもよく利いた。
「青バッジ」のGTに触れ、いまなお走りの実力が高いと実感した。ロングドライブに出かけたくなる大人のスタイリッシュモデルである。

真正面

諸元

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