1972年式ボルボ1800E。アメリカ市場をメインターゲットに開発されたスポーツクーペ。スタイリングはイタリアのカロッツェリア・フルアが担当。「スウェディッシュ・フェラーリ」の愛称で呼ばれた。1959年にデビューし1973年までに4万7492台が生産された
ボルボは第2次世界大戦後、グローバルメーカーへの脱皮を目指し、アメリカでの拡販を図る。その戦略車種として期待されたのが新型スポーツカーだった。当時、北米では小型スポーツカーが流行しており、ボルボの優れた耐久性を持ったスポーツカーであれば、ユーザーニーズが高いと判断された。
スポーツカーの第1号は1954年に発表されたP1900だった。P1900は、当時の量産セダンPV444のメカニズムとFRP製ロードスターボディを組み合わせた2シーターモデル。しかし不慣れなFRP製ボディに生産上の問題が発生し、販売台数は約70台にとどまった。この経験を踏まえ、ボルボはアマゾンの愛称で親しまれた120シリーズをベースとしたスポーツカーの第2弾、P1800を企画、1959年に発表した。
P1800の流麗なボディは、イタリアのカロッツェリア・フルアがデザイン。フロントマスクが当時のフェラーリを彷彿させたことから、「スウェディッシュ・フェラーリ」と一部で呼ばれた。ドア後端でキックアップしたキャラクターラインが特徴だった。
当初、ボディパネルの製作は英国のプレスドスティール社、組み立ては英国のスポーツカーメーカー、ジェンセン社が担当。だが、これは一時的な処置で、1963年にスウェーデンの自社工場組み立てとし、車名を1800Sに変更した。
その後、1968年にはエンジンを1.8リッターから2リッターに拡大。インジェクション仕様に進化した1969年からは1800Eにモデル名を変更する。1971年には、スポーツワゴンの1800ESがラインアップに加わる。ガラスハッチを備えた1800ESの伸びやかなスタイリングは、新鮮だった。
取材車は、インジェクション仕様の2リッターエンジン(135ps)を搭載した1972年式の1800E。正規輸入車で、トランスミッションは4速MT。走行距離は4万7900kmと年式を考えると少ない。
ボディのコンディションは上々だ。クリームホワイトの塗装には艶があり、サビや目立つ傷はない。バンパーなどのメッキパーツにもくすみは見られなかった。やや劣化していたウィンドウ回りのゴム製パーツを交換すれば気持ちよく乗れるだろう。ホイールはオリジナルのスチール製。タイヤは七分山のヨコハマ製ラジアルを装着していた。
室内の状態はいい。助手席側に、以前アクセサリーを取り付けたステーが残っている以外は、オリジナル状態。本革仕様のシートに目立つシワや傷はなく、座り心地はいい。各種メーターとスイッチは正常に作動した。ドア開閉音は重厚。新車当時にオプションで設定されていたデンソー製クーラーが装着されていた。
走りは力強い。2リッター直4ユニットは低回転域から太いトルクを発生し、発進加速は思いのほか鋭い。ノンパワーのステアリングの操舵力は、走行中はさほど重くなく、ブレーキもよく利いた。
気になった点はドライビングポジションである。ステアリングを適切な位置に合わせるとペダル類が遠く、ペダルに合わせるとステアリングが近くなりすぎる。前オーナーはクラッチのペダルカバーを2枚重ねにして調整していた。
ボルボ1800Eの特徴は、オーソドックスでタフなメカニズムと高い耐久性、そして美しいスタイリングだ。繊細な味わいこそ薄いが、その分、気負わないでつきあえる。長く楽しめるロングライフ・スポーツカーの代表である。