追悼。憧れのスターリング・モス

モータースポーツ界で大きな足跡を残し、2000年にはナイトの称号を贈られたスターリング・モス氏が亡くなった(1929年9月17日〜2020年4月12日)。モス氏のレーシングドライバーとしてのハイライトは1955年、メルセデス・チームからF1に出場し、シリーズ2位。ミッレミリアで優勝している。62年に遭遇した事故の影響で63年に引退。68年にはスズキ・フロンテSSを伊藤光夫選手とともにドライブし、ミラノ〜ナポリ間(約770km)を平均時速122.3km/hで走破。日本車の優秀性を世界にアピールした。

F1通算16勝、「無冠の帝王」と尊敬を集めた

2020年7月号岡崎コラム写真.jpg▲1968年スターリング・モス氏は日本の二輪ライダー伊藤光夫選手とともにスズキ・フロンテSSでミラノ〜ローマ〜ナポリの約770kmを平均時速122.4km/hで走りきった

 レジェンドドライバー、スターリング・モス氏(1929〜2020年、英国)が亡くなった。

 ボクが4輪レースに興味を持ちはじめたのは1963年。第1回日本GPがきっかけだった。モス氏は1962年に事故で重傷を負い、後遺症が残って1963年で現役を引退した。32歳という若さだった。

 だから、モス氏の実戦での走りを見たことはない。でも、多くの雑誌で多くの伝説的エピソードを読み、ボクのヒーローになった。

 引退後も、レース界とはいろいろなかたちで関与し続け、1990年には「国際モータースポーツ殿堂」入り、2000年には「ナイト」の称号が贈られた。

 スターリング・モス氏と日本の関係でいうと、ボクがまず思い出すのは、アウトストラーダ(イタリア)を舞台にした1968年のスズキのイベントだ。クルマはデビュー直後のスズキ・フロンテSS。2輪ライダーの伊藤光夫選手とともに、ミラノからナポリまでの約770kmを平均速度122.4km/hで走り抜ける快挙を達成した。フロンテSSは360ccで36psの最高出力をマーク。その記録は、リッター当たり出力100psの高性能を広くアピールした。しかもモス氏がステアリングを握ったことでニュースは世界に伝わり、スズキは目的を果たした。

 でも、アウトストラーダでの、「770kmの平均速度122.4km/h」という記録は、ボクには驚きではなかった。当然の結果と思った。

 というのも、その前年の1967年、ボクは31ps㎰のフロンテ360で「名神高速道路(東名との接続前)ノンストップ24時間テスト」を行い、成功していたからだ。

 当時の詳細な記録が手元にないので、走行距離は明言できないが、たぶん2300kmほど。折り返し地点のIC乗降と、PAスタンドでの給油に時間をとられたので、平均速度は「95km/h」くらいだった。「ずっと全開!」で走り続けたことを覚えている。

スズキ・フロンテの主要諸元

グレード:SS(1968年11月発売)
価格:38万7000円(東京・大阪)
寸法・重量:全長×全幅×全高2995×1295×1290mm ホイールベース1960mm 車重440kg トレッド:フロント×リア1125×1175mm
エンジン: 356cc空冷2サイクル直列3気筒 36ps/7000rpm 3.7kgm/6500rpm
トランスミッション:4MT
サスペンション:フロント:ウィッシュボーン/リア:トレーリングアーム
ブレーキ:前後ドラム タイヤサイズ:4.80-10-2PR
駆動方式:RR
最高速度:125km/h
0→400m加速:19.95秒

スターリング・モス略歴

1929年英国生まれ。1951年、HWMからF1に参戦。1955年にはメルセデス・チームから参戦し、ミッレミリアやタルガフローリオ、F1英国GPで優勝。1962年の事故を契機に引退した。1961年まで出場したF1通算成績は66戦16勝(シリーズランクは最高2位)

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