九島辰也さん(以下、九島) 日本に久しぶりに帰られた山本さんにお聞きします。まずデザイナーを志した経緯を教えてください。
山本卓身さん(以下、山本) きっかけは「ランボルギーニ・イオタ」です。私は厳密にはスーパーカー世代ではないのですが、兄が持っていた『スーパーカーアルバム』にランボルギーニ・イオタが紹介されていて強い衝撃を受けました。小学生で即座に「将来はデザイナーになろう!」と決めました。中学や高校の美術の先生に「デザイナーになるためにはどの学校に入ればいいか」を聞き、東京造形大学に進みました。美大に進み創作三昧かと思いきや2年の半ばにもなると皆「就職モード」に。もともと「ちゃんと考えずに流れに乗る」ことが苦手なのもありましたが、大学の4年間は、自分自身のために使いたいと考えていたので創作活動に没頭していました。それで結局、新卒でのメーカーへの就職のチャンスを逃してしまいました。
山本 大学卒業後は、メーカーではなくデザイン会社に就職。当時は日本がデザイン界をリードしていた時代でしたので、仕事は面白かったですね。そこで3年ほど経験を積んで、今度は海外に飛び出しました。自動車デザインを専門に研究するイギリス・コベントリー大学の大学院に入学したのです。外国人なので実技だけは主席を取ると決め、それを実現しました。大学院は産学協同のシステムが充実しており、第1課題はフォード、第2課題はプジョーが後援していました。私の実技作品を見て、フォードは卒業式を待ってオファーしようと思っていたようなのですが、プジョー(当時のPSA=プジョー・シトロエン・グループ)からはプロジェクト終了後3日の早さで「パリでコーヒーを飲まないか? 」と誘われプジョーを選びました。2001年頃だったと思います。結局、プジョーに6年半ほど在籍しました。プジョーでは、アドバンスデザインやコーポレートデザイン、そしてトヨタ・アイゴのようにブランドをまたぐデザインを担当していました。
バーチャルと現実を融合してスポーツカーを創造。「GT by シトロエン」を企画し見事に実現
九島 それでフランスが活動の拠点になったのですね。ところで山本さんは、コンピューターゲーム『グランツーリスモ5プロローグSpecⅢ』に登場するコンセプトスポーツ、GT by シトロエンをデザインされていますよね。そのあたりの経緯を教えてえていただけますか?
山本 プジョーで働く中で、バーチャルから現実を目指すプロジェクトを思いつきました。それが「GT by シトロエン」。ドライビングシミュレーターゲームのグランツーリスモの世界で夢のスポーツカーを創造し、それを実際のモデルとして作り上げるプロジェクトです。当初はPSA内で展開するのではなく、転身も考えましたが、ちょうどその頃、シトロエンのデザイントップがジャンピエール・プルエ氏に変わり、レッドメタのガルウイング4ドアモデル、Cメティスというコンセプトカーが発表されたのです。凄くかっこいいクルマでした。このクルマを見て、シトロエンでグランツーリスモのプロジェクトを実施すると面白いと考え、プジョーからシトロエンに転籍しました。GT byシトロエンは、企画の最初から自分自身で立ち上げ、会社内への説得や予算獲得も、すべて行いました。このプロジェクトの成果が2008年の「GT by シトロエン’08」です。シトロエンが描く21世紀のスポーツカー像を具現化したモデルで、当初は6台を限定生産、販売する計画でした。しかしリーマン・ショックの影響で残念ながらキャンセル。実車は1台のみです。
九島 1台しか作られなかったのは残念ですが、実にダイナミックなプロジェクトですね。しかも素直にかっこいい。ボクはこのクルマを見てシトロエンのイメージが変わりました。
山本 ありがとうございます。このクルマ、そしてプロジェクトは、多方面に影響を与えました。中でもGT by シトロエンに感動してデザイナーを目指した、という人に出会えたのがうれしかったですね。私がイオタを見てデザイナーを志したように、GT by シトロエンを見てデザイナーになった人がいるということは、凄く光栄なことです。
ちなみにGT by シトロエンは、「無いものは作る」の成功体験となり私自身にも大きな自信を与えました。インハウスデザイナーは当然企業の一員。与えられたミッションをこなすのが仕事です。そこでできないことがあるのであれば、起業して「夢のクルマ作り」に取り組もうと考えがまとまりました。
そこでPSAを退社。起業の運びだったのですが、企画を持ち込んだグランツーリスモを制作している会社、ポリフォニーに誘われ、3年半、ヨーロッパスタジオのデザインディレクターを務めました。ここではVision GTなどの企画やゲーム内のクルマの監修、ゲーム周辺機器などに携わりました。
モビリティという軸で未来につながる造形に挑戦。デザインは美しいことが基本だと思う
現在は2017年に「Takumi YAMAMOTO」を設立。モビリティという軸で、陸/海/空のさまざまな物をデザインしています。その一環としてスカイドライブの「空飛ぶクルマ」を立ち上げ当初からサポートし、ブランディングからデザインまで手がけています。空飛ぶクルマについては否定的な意見もありますが、自動車も黎明期には、現在とは比べものにならないほど非効率で不恰好でした。それでも、その未来を信じた人々がいたからこそ、馬を超え、ここまで発展したのです。私は空飛ぶクルマの未来を信じ、100年先を見据えながら、デザイナーとして夢のある造形を生み出すことで、「空の道」の実現を後押ししています。

山本氏は2017年に「Takumi YAMAMOTO」を設立。モビリティという軸で陸/海/空のさまざまな乗り物をデザインしている。SkyDriveの「空飛ぶクルマ」はコンセプト段階から「夢のある造形」でサポート。SkyDriveの次世代機SD-05(2025年)は大阪・関西万博で初の公開飛行を成功させた話題のエアモビリティ
九島 空飛ぶクルマはモビリティとして多彩な可能性がありますね。動力源がフル電動化されれば音の問題も解消するし楽しみです。ところで山本さんが影響を受けたクルマにはどんなものがありますか?
山本 まずは初めにもお話ししたランボルギーニ・イオタです。幼稚園の頃だったでしょうか、一目見て衝撃を受けました。彫刻、立体としてとにかく「美しい」と思いました。それと、自分自身でも所有している1969年のシボレー・カマロ。子供の頃、実家の裏がガソリンスタンドで、そこで初めてこの車を見て衝撃を受けました。プジョー入社後、購入を決めたのですがフランスで数年出物を探しても見つからず、結局ドイツまで赴いて購入しました。それ以外では、クリス・バングル氏がデザインしたクーペフィアットも大好きです。従来とまった違う手法のクーペ表現はさすがだと思います。クリス・バングルはその後、BMWのチーフデザイナーに就任しますが、保守的だったBMWデザインを見事に革新しました。彼がイタリアの学校でワークショップを実施すると聞き自費で参加したのも良い思い出です。それ以降彼とはとても仲良くさせてもらっています。他にも、フラミニオ・ベルトーニ氏が手がけ1955年のパリ・サロンでデビューしたシトロエンのDS、1995年に発表されたピニンファリーナのコンセプトモデル、Argent Vivo(アルジェント・ヴィーヴォ)。このクルマを手がけたデザイナーは、私の他のお気に入りの2台、プジョー406クーペ、そしてクリス・バングル時代のBMWで5シリーズ(E60)も手がけています。1960年代のアルファロメオ・ジュリアGTAやBMW2002も心惹かれますね。
九島 ボクが大好きなクルマばかりでワクワクしました。最後に改めて聞きます。カーデザインにとって大切な要素はなんでしょうか?
山本 さまざまな環境で立体として美しいことが大切だと思っています。クルマは動く彫刻です。地をつかむスタンスで見るものに感動を与えることが大切な要素です。デザインは主観が支配するものですから個人によって好みは異なります。でも美しくあるべきだと思います。
山本卓身/Takumi YAMAMOTO代表
東京造形大学 工業デザイン学科、英国コヴェントリー大学大学院オートモーティブデザイン科を経て2001年にPSA Peugeot Citoroenに入社、2006年にスティル・シトロエンPSA Peugeot Citoroen Style Citroen,Velizy,Franceに転籍し「GT by シトロエン」を手がける。2012〜2016年にポリフォニーデジタルヨーロッパスタジオ・デザインディレクターをつためた後、 2017年にTakumi Yamamoto設立。現在は幅広くモビリティデザインを手がける
