メディア対抗ロードスター耐久レース、略称/愛称「メデ耐」は、クルマ好き・モータースポーツ好きな自動車メディア関係者たちが真剣勝負を繰り広げる伝統イベント。第36回を迎える2025年は、舞台を筑波サーキットから富士スピードウェイ(以下、FSW)へと移し、「マツダファンフェスタ2025」内で開催するという大きな転機を迎えた。
わが「PTC CAR and DRIVER Racing」チーム(以下、CD号)は、昨年のファイナルラップで表彰台目前での“ガス欠リタイア”という悪夢を払拭すべく挑んだ。舞台となる富士スピードウェイのサーキット走行ライセンスを全員が取得し、準備万端で臨んだ3時間。そこには確かな進化と、目標にわずかに届かなかった挑戦の物語があった。
「シングル(9位以内)を目指します」
CAR and DRIVER(以下、本誌)統括編集長・山本がそう語ったのは、予選直前のピットでのことだった。彼は昨年、自らNDロードスターを購入し、今シーズンからロードスターパーティレースにもスポット参戦しはじめた。仕事としてだけでなく、クルマとモータースポーツを心から楽しむ“本気で走る編集長”である。
今年のメデ耐には全21台がエントリー。富士スピードウェイのピットエリアは、各メディアチームの緊張と高揚感に包まれていた。だが、天候は無情だった。午前の練習走行から小雨が続き、予選開始時には雨は上がったものの路面は完全にウェット。1台がスピンからクラッシュしてしまうほどの悪条件だった。
そんな中、山本は冷静だった。雨粒が閉めきった幌を弾く中、ヘルメット越しに視線を前へ送り、1周ごとにタイムを縮めていく。「慎重すぎず、攻めすぎず」、まさにサーキット走行を知る者の走りである。20分間のセッション中盤、山本のタイムは9番手。目標の“シングル”をキープしていた。
ピットモニターに映る順位を見て、スタッフが思わず拳を握る。しかし、その直後、ピットモニターの下に無情な文字が浮かんだ。
【CAR 44 ピットレーン速度違反と判定(出口)】
「マジか、やっちまったなぁ。アイツ、気合い入ってたのはいいんだけど、ピットロードじゃなくて、コース上でそれをぶつけてほしかったよ…」
そうつぶやいたのは、このレポートを書いている、私、第2ドライバーの加藤。ピット内は苦笑も、その後重い空気が流れる。だが、無線(電話)でそれを山本に伝えることはしなかった。
「今はただ、タイムを出させよう」
それがチームの判断だった。
残り5分。ライバルチームが一斉に後半アタックを仕掛ける。わずかに雨脚が弱まったタイミングで次々とベストを更新。山本も全力でアタックを続けたが、最後の1分で11番手へと後退し、セッション終了。さらにスピード違反による予選タイム+1秒のペナルティが加わり、CD号は13番手スタートとなった。
山本はピットに戻るとヘルメットを脱ぎながら、静かに言った。
「緊張しすぎました…(空気圧調整で一度ピットに入った後)DSC-TRACKは入れ忘れてるし…それにくわえてペナルティ。本当に申し訳ないです。でも、本番で必ず取り返します!」
その眼差しは、雨に煙る富士の空を刺すように鋭かった。
山本善隆(やまもとよしたか)の愛称はヨッシー。ゼッケンの44はそこから取ったものだが、まさかピットロードのスピード違反も44km/h(制限速度は40km/h)でしでかしてくるとは。どこまでも「44」という数字が好きな男である。
ここで改めて「メディア対抗ロードスター耐久レース」について紹介しよう。過去35年間は筑波サーキットを舞台に「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」、略して「4耐(よんたい)」として実施され、ギネス世界記録も達成している伝統のレース。今年36回目を迎えるとともに舞台を富士スピードウェイに移し、レース時間も3時間に変更(15時スタート18時ゴール)。あわせて略称/愛称を「メデ耐(めでたい)」へと改称した。さらに、これまであった給油をなくし、満タン(昨年から環境を配慮しカーボンニュートラル燃料を使用)無給油で3時間を走りきる、というフォーマットに変更された。
「走る歓びを体感し、その愉しさをメディアを通して発信することで自動車文化を育む」というレースの趣旨のもと、初代ロードスター(NA型)が誕生した1989年から始まり、今年で36回を迎えた。レース開催が危ぶまれるような年もあったが、ここまで続けたれてきたのは、マツダをはじめ、主催者、スポンサーのみなさまのおかげにほかならない。
(マツダならびに関係者のみなさま、毎年このレースを開催していただき、本当にありがとうございます! by チーム一同)
今年からメデ耐は「マツダファンフェスタ2025 at 富士スピードウェイ」で開催。1コーナー寄りのピットビルBにメデ耐の参戦車両は集められ、1ピットで2チームが共用。わがCD号(44号車)は、おなじみの女性ジャーナリストが集まるピンクパンサーチーム(03号車)とピットを分け合った。
参加者は主に自動車メディアの編集者、ライター、ジャーナリスト、カメラマンたち。プロドライバーも一部いるものの、メディアに関わる人々が純粋なドライビングスキルとチーム戦略を駆使して表彰台を目指す。1チームは4名〜5名で構成され、決勝レース中に4回以上のドライバー交代が必要と定められている。使用可能な燃料の量が決められているため全開走行ではガス欠してしまう。ドライバー交代タイミングや燃料管理、ペース配分など、すべての判断が勝敗を分ける耐久戦だ。
昨年同様、チーム名は「PTC CAR and DRIVER Racing」。製造業のDXをサポートするグローバル企業のPTCジャパンと再びタッグを組んだかたちだ。
そんなわがCD号(44号車)のドライバー構成は、山本善隆(本誌統括編集長)→加藤英昭(筆者・自動車ライター)→大谷達也(モータージャーナリスト)→三宅陽大(マツダチャレンジプログラム第1期生・準助っ人)→岡本幸一郎(モータージャーナリスト)という布陣。計5人が交代でステアリングを握る。
わがチームの基本戦略は明確だ。
「今年ロードスターパーティレースに参戦している山本と準助っ人の三宅を長く走らせる」
この判断が、悪天候下ではとりわけ重要になる。滑りやすい路面で安定してペースを刻めるドライバーを軸に据え、リスクを抑えながらも着実に上位を狙う戦略だ。
午後3時、小雨が降る中、決勝がスタート。われらがCD号(44号車)は13番グリッドからの挑戦だ。グリーンシグナルが点灯した瞬間、21台のロードスターが水煙を上げて加速していく。山本はマシンが殺到する1コーナーを無事にクリアし、次々と順位を上げていく。
「決勝は冷静さが予選の時とは違うな。とてもタイムも燃費も安定している」
ピットモニターを見つめるチームメイトたち全員が息を呑む。序盤で数台をオーバーテイク。雨の壁を突き破るような走りだった。燃料40Lという制限下で、燃費を意識しながらもペースを保ち、ついに終盤でトップへ立つ。
「カー・アンド・ドライバーがトップに立ったぁ!」
場内アナウンスの声がサーキットに響き渡り、ピット内が沸いた。昨年、ガス欠でリタイアした悪夢を知るチームにとって、それは衝撃的な瞬間だった。チェッカーでもないのに歓声が上がるほどの盛り上がり。山本はそのまま淡々と周回を重ね、トップを維持したまま15周、約41分を走りピットに戻ってくる。
「最高の走りだったよ、完璧だぜ!」
第2ドライバーの加藤はすれ違いざまに、山本にそう声を掛ける。
ドライバー交代は1分の停車が義務づけられている。その間にピットクルーの3名(濱口、中沢、横田)がマシンに駆け寄り、左右のシートベルトの補助、トランスポンダーの交換という決められた役割をテキパキとこなしていく。こうしたサポーターのおかげで、ドライバーはレースに集中できる。
「エンジン掛けて! 5,4,3、2、1、ゴー!」
濱口の声に反応して、加藤が勢いよくピットを後にする…。かと思いきや、ななな、ナント、まさかのエンストという大失態をしでかす!! この事態が後にまさかの展開を呼び起こすことを、私はこの時、知るよしもなかった。それにしてもダイジョーブか、オレ……(焦)。。。
午後3時42分、第2ドライバー・加藤がピットを出る頃、雨は小康状態になっていた。だが路面は依然ウェット。一瞬たりとも気を抜けない。
「燃費を維持したまま、ラップを上げろ!」
ピットの平石から電話での指示が飛ぶ。
「そんなのわかっているよ!(焦)」
加藤はヘルメットの中で苦笑しながらも、必死にアクセルを繊細に操る。富士のAコーナー(左の高速コーナー)から100R(右の中高速コーナー)へ続く区間。ほんのわずかなアクセルの踏み方で、クルマの向きが変わる。しかし、雨の中ではアクセルを踏みすぎても抜きすぎてもダメで、その難しさは怖さすら感じるものだった。
燃費をキープしていたものの、なかなかタイムアップができない中、作戦参謀の丸山がピットインを指示。加藤は12周約35分を走りピットに戻る。順位を落としてしまったが、つなぎ役として最低限の仕事は果たした。(はず?)
午後4時16分、次にコースへ出たのは、大谷。フェラーリやランボルギーニなどスーパーカーの走りの評価を得意とするキャリア30年超のベテランモータージャーナリストだ。だが、その彼をもってしても、この日の富士は手強かったようだ。
「雨の練習、まったくしてない。ダイジョーブかなぁ…」
マシンが戻ってくるのをピットロードで待ちながら、そうつぶやく大谷。そして、その不安が的中してしまう。3周後、燃費はきっちり想定通りではあるが、タイムが思うように上がってこない。
ここでピットは思い切った作戦に打って出る。大谷と次の第4ドライバー・三宅が交代できる時間を超えたところで、予定よりも前に急遽ドライバーチェンジを敢行する。結局、5周を走った時点で大谷はピットインの指示が飛んだ。
「すみません、精一杯走ったんですが、ウェット路面に慣れるのに時間がかかってしまって…」
ヘルメットを外した大谷の顔には、悔しさが滲んでいた。
午後4時37分、あたりは薄暗くなり霧が出始める中、三宅がステアリング握る。三宅はマツダチャレンジプログラム第1期生で、今年はロードスターパーティレースのジャパンツアーシリーズに参戦。表彰台の常連で、我がCD号の準助っ人ドライバーを務める。
1周目からペースが違った。そして周回を重ねるごとに着実に順位を上げていく。ピットでは歓声が止まらない。
「スゴイ! このまま行けば表彰台が狙えるかも…」
雨と霧が濃くなる中でも、彼は淡々と攻め続けた。ここでピットは、最終第5ドライバー・岡本とのドライバーチェンジをいつ行うかに頭を悩ませる。極端な話、岡本は1周でも走ればレギュレーション上はOKという状況だった。しかし、岡本もこのレースに向けてFSWでの練習をこなしてきた。なので、せめて大谷と同じ5周は走ってもらおう。ピットも苦渋の決断だった。
三宅は28周、約1時間15分を走り、12番手まで落ちた順位をピットに戻る時にはついに3位浮上させていた。ピットクルーは総立ちだった。
「すばらしい!完璧だった!」
山本が握手を求めると、三宅は笑って答えた。
「そんなに疲れてないです。」
さすがは25歳。若いって素晴らしい!
「もう結果は気にせず楽しんでこい!」
プレッシャーを掛けないように加藤が放った言葉が、余計に岡本にプレッシャーを掛けてしまう。
午後5時48分、暗闇の中、チェッカーを目指して岡本がコースインする。
このころになると、ガソリン残量が気になり、昨年の悪夢が脳裏をちらつく。ピット側も迷いが生じる。表彰台には立ちたい。でも、ガス欠だけはしたくない。後ろからENGINE号が迫ってくるが、あちらもガソリンは厳しいはず。どうするべきか。迷っている時間はない。ペースキープの指示を出す。
しかし、時間的には残り2周、ピットモニターには無情にもENGINE号が3位に上がったことを映し出された。
「相手がガス欠する可能性もあるから、最後まで気を抜かないでがんばろう」
山本からの指示に、岡本も集中力を切らさないように気力を振り絞って走る。そして、午後18時すぎにチェッカーフラッグが振られた。結果は……、4位。それでもドライバー、ピットクルー、サポーターのみんなでピットロードからチェッカーを無事に受けた岡本に手を振り、みんなが「お疲れさま~」と声を掛けた。
ちなみにこれは後にENGINE号のドライバーに聞いてわかったことだが、あちらは「ガス欠してもいいから、CD号を抜きに行こう」、という指示を出したとのこと。
リザルトを見てみると、3位エンジン号と4位CD号の差は8秒。誰も岡本を責めるものはいない。いや、私はふと思い出して(気がついて)しまった! 自分がピットアウトするときに、エンストしてしまったことを! あれがなければ8秒を取り返し、3位表彰台いけたんじゃないか……(焦)。この記事をCD号のドライバーが読んでいないことを祈る(苦笑)。
3時間、雨と霧の富士スピードウェイを走り抜けたCD号。表彰台は逃した。しかし、完走、ミスゼロ、そして全員が全力を尽くした。それは“勝利”以上に価値ある成果だった。
山本は最後に、今回いっしょに戦ったチーム全員を前にこう語った。
「結果じゃない。去年より我々は確実に強くなった。来年こそ絶対、表彰台に立ちましょう」
雨の粒がライトに照らされ、まるで拍手のように降り注ぐ。その中で、5人のドライバーとチームスタッフが笑っていた。今年のPTC CAR and DRIVER Racingの挑戦は終わった。だが、彼らの戦いはまたこの日から始まっている。
(文/加藤英昭)
本誌内でも統括編集長・山本視点で記事掲載していますのでぜひご覧ください